障子に穴を開けてゴシップスターを見ようとする女房たち
「覗き」がハバをきかすのは、恋だけじゃない。
男たちと浮き名を流し、『和泉式部集』によると、藤原道長に“うかれ女”と呼ばれた和泉式部は恋人の敦道親王邸に住みこむのだが、正月、親王の北の方付きの女房たちは、
「年始参りに来た男たちよりも、式部を見ようと、障子か何かに穴を開けて大騒ぎした」
と『和泉式部日記』には書かれている(てことは、例年は、年始参りの男たちを、女房は覗き見しているわけだ)。
この和泉式部という人は、天才的な歌人だが、何かとお騒がせの人だったようで、敦道親王と堂々と車に相乗りして祭を見物したこともあった。しかも、車のスダレの下からわざと紅の袴を見せ、そこに“物忌”と書いた大きな赤い札をつけて、地面すれすれに垂らすという目立ちよう。
紅の袴は今でいう下着みたいなもんだし、札の意味は「謹慎中」とか「生理中」とか「ただ今取りこみ中」ということ。下着に「ただ今取りこみ中」じゃあ「中で何しているんだろう」てなもので、「祭よりこっちのほうが気になる」と、この時も見物人を集めてしまっている(『大鏡』兼家)。
そんな芸能人レベルの和泉式部だから、もしもその時ワイドショーのようなものがあれば、「式部さん、今のお気持ちどうですか?」などと、ずかずかと部屋に踏みこまれてしまったことだろう。それを思えば、あくまで覗きにとどめる心は可愛いが、穴を開けてまで見るという態度は、お上品な王朝貴族のイメージを狂わすものがある。
「昼間だったら光源氏を覗き見できたのに」
覗きというのは、貴族にとってそれほど当たり前だったのか、『源氏物語』では、空蟬の弟が、源氏の姿を見て、
「噂通りの美貌でした」
と姉に報告すると、空蟬が、
「昼なら、覗いて拝見するのだけど」
と眠たげに言うシーンがある。さらに、そのやりとりを、源氏が立ち聞きする。
自分の姿を覗き見したいと言いあう姉弟の会話を、立ち聞きする男。ここには、男も女も覗き覗かれ、生活していた平安貴族ならではの「覗きの文化」がある。
だから、当時の貴族の最大の悩みは“人目”である。周りに人の目が多い、一人になれない、ということだ。
高貴な女が人前に出ないといっても、召使の女房たちには常にガードされている。つまり、しっかり見られている。