「リスボン大地震」からいまの日本を見る

著者のすべての著書にもうひとつ共通しているのは、時間軸でも思考の幅が広いということだ。歴史の中で自身の思考を位置づける。これが常に知的活動のバックボーンになっている。『最終戦争論』の回をはじめ、本連載で繰り返し言っていることだが、時間軸を長く取って歴史を考えるという作業は、抽象化にとって欠かせない。

『場所言論』でいえば、2011年の東日本大震災後の建築を論じるのに、1755年のリスボン大地震までさかのぼっている。よく知られているように、この地震は物理的な損害だけでなく、ヨーロッパ人の精神に深刻なトラウマを残した大災害であった。当時の巨大建築には、神を賛美するという意図をもって建てられていた。建築が神の存在の象徴作用であったといってもよい。リスボン大地震で立ち直れないほどの大災害を経験した人々は、「神に見捨てられた」と思うほどの衝撃を受けた。このことが神に代わって人類を守ってくれる「強い建築」「勝つ建築」への欲求を生み出した。

この「強い建築」への希求は、20世紀に入ると住宅の私有という概念と結びついた。そこで出てきたのが、「郊外の一軒家」というモデルである。このモデルをもっとも純粋なかたちで具現化したのが20世紀中盤のアメリカだった。危険な都市から離れた新天地で家族の幸せと老後の生活が保障される。郊外の一軒家は幸せな家庭の象徴となった。

そうなるとみんなが郊外の住宅に住みたくなる。そこで住宅ローンというシステムが人々の欲望にガッチリ入り込む。家を持つとなると、電気製品や家具や車といった耐久消費財への需要も触発される。人々が都市と郊外を日常的に行き来するようになると、電気やガソリンといったエネルギー需要も増える。道路などのインフラも整備される。人間は負債を抱えると、借金を返すために勤労意欲も増す。分厚い中産階級がせっせと働く。これがますます経済成長に貢献する。好循環が生まれる。

1950年代には、『奥さまは魔女』とか『アイ・ラブ・ルーシー』といった郊外の一軒家を舞台にした家族の日常を描いたアメリカのテレビドラマが日本でも大流行した。家族の幸せ、永続する安心・安全の象徴作用としての郊外住宅は、日本にも伝播するほど強いメッセージを放出していた。「郊外の一戸建て」が象徴する世界観はアメリカ社会が繁栄する原動力になった。

その挙句にリーマンショックが起きる。その引き金はサブプライムローン、つまり低所得者向けの住宅ローンの破綻だった。20世紀型のアメリカの政治経済モデルは、「住宅に始まり、住宅に終わった」ともいえる。18世紀のリスボン大地震後から21世紀のサブプライムローンまでが「強い建築」の時代だったとすると、いま世界は「小さな場所」の時代にシフトしているのではないか。著者はそのように見立てる。

いま目の前で起きている具体的な動きを歴史の中に位置づけて抽象化する。歴史だけではない。17世紀のデカルトの論理演繹主義、18世紀イギリスの経験主義、批判哲学を拓いたカント、キルケゴールからフッサール、メルロ・ポンティとつらなる現象学の一派、闘争論のヘーゲル、マルクス、実存主義のハイデッガー……。人間の主観と客観、世界と個人、普遍性と多様性といった対立を、大哲学者たちはどのように理解してきたのか。著者は、これまでの哲学の議論と、それが導出してきたさまざまな概念を総動員している。その結果、「負ける建築」というコンセプトが抽出される。

弱い個人(主観)が強い世界(普遍)を受け入れる。そこに存在しているさまざまな自然や歴史や社会のコンテクストとしての「場所」を受け入れ、これを克服しようとしないという「積極的な受動性」。場所を受け入れた結果として、新しい生成が触発される。それが場所主義に根差した「負ける建築」である(詳細については、隈研吾『負ける建築』を読んでいただきたい)。

もとより著者は哲学を専門に研究している学者ではない。建築家としてお客さんから注文されて、コストの計算をしたり、建築構造の強度のテストをしたり、個別の案件について図面を引くという、極めて具体的な建築家の仕事を日々しているわけで、抽象と具体の振れ幅が極めて大きい。抽象的な思考能力が高い人は少なくないが、極端に具体的なところまで入っていくという守備範囲の広さ、そこに著者の本領がある。