「無常」がわかると、無理をしなくなる

人生は変化の連続です。常ではない“無常の現場”と言ってもいいでしょう。変化してしまう状況に自分が対応できるかどうか不安な人は、「~だったらどうしよう」と多くのことが心配になります。

今までの人生で経験したことがないような、伴侶が死んでしまったら、自分が不治の病にかかったら、自己破産してしまったらなどの状況にも考えが及んでしまうかもしれません。

心配性の人は、心配の種をたくさん持っています。そのうち1つでも現実になれば、他の心配ごとも起こるのではないかとますます心配になります。

しかし、考えてみれば、心配ごとのほとんどは実際には起こりませんし、たとえ現実になることがあっても、たいていの場合どうにか対応できているはずです。

この先もどんな変化が起ころうと、どうにかなります。死は避けられませんが、親しい人との別れに遺族はどうにか折り合いをつけて暮らしていきます。

どうにかなるとわかれば、先を見越した過度の心配はしなくてすみます。否でも応でも変化してしまう状況と、それに対応する自分を楽しみにできるようにもなります。

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「老い」には、嘘も偽りもありません

気力、体力、記憶力が衰えるのが老いの1つの側面です。それだけを考えればクヨクヨしたくなります。しかし、物事は異なった3つくらいの見方をしないと真実のあり方は見えません。これが「3人寄れば文殊の知恵」と言われる理由です。

年を取ることでレベルアップすることもあります。30代で自分の悪い噂が耳に入れば、酒の力を借りて憂さ晴らしをするか、悶々として眠れぬ夜を過ごし朝を迎えることもあるでしょう。

しかし、年を取ると、悪い噂が風の便りで聞こえてきても「あの人は人の悪口を言うと自分が偉くなったと、いまだに勘違いしているんだ。かわいそうな人だよ」とサラリと受け流すこともできます。

「あの人は、悪口が服を着て歩いているようなものさ」と軽くスルーできるようにもなります。これは年を取ったメリットです。

そして、年を取ることに嘘や偽りはありません。老いは生き物の真実のあり方です。

このように三側面から「老い」を見ないと、その正体は見えてきません。劣った部分だけでなく、別の部分にもスポットライトを当てれば、クヨクヨせずにすみます。