しっかり者の母親

一方母親は、忍耐強く、バイタリティに溢れ、おおらかで愛情深い人だった。

「母は中卒で、家も貧乏だったため、父方の祖母に蔑まれていたそうです。農業をしている父方の祖父母は、自分の娘たちには農作業をさせないのに、嫁である母は四六時中呼びつけてはこき使い、父はそれをとがめなかったようで……。子どもが生まれてもそれは変わらず、母は幼い私を背負って、朝から晩まで奴隷のように働かされたと、大人になってから聞きました」

父親は自分のルーティンにはこだわりがあり、それを崩されると激怒した。米の炊き方1つにもうるさく、銘柄、何合炊くか、水の分量、炊飯後の蒸らし時間などまで細かく指定し、母親はその通りに炊いていた。

子どもが小さいうちは、家事・育児・農作業の合間に内職をし、子どもたちが小学校に上がるとパートに出始めた。

「安い給料で、夏も冬も暑い過酷な環境であるクリーニング工場でパートをしていた母は、『私は学がないからこういう仕事しかない』と言いつつも、『絶対見返してやる!』という気概を持ち、私たち子どもには愚痴を言うこともなくずっと働き詰めでした。私が中学生の頃、母はもう50代でしたが、フルタイムで働いてヘトヘトになって帰ってきてもキチンと家事をしてくれるしっかり者でした」

父親は50歳手前の頃、父親は下腹部の痛みを訴えながら数日間寝込んでいた。母親が何度「病院へ行こう」と言っても聞かず、激しい痛みに冷や汗を流しながら耐えていた。しかしついに、「救急車を呼んでくれ」と言う。

ただし、「近所に知られたらみっともないから、絶対にサイレンを鳴らさずに来るように言え」と念を押す。母親はその通りに伝え、救急車もその通りに来てくれた。

結果、父親は尿路結石だった。

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