与謝野晶子が提唱した斬新な二部構成説

長いあいだ国文学者たちは、物語の主軸をどこに見いだし、ストーリーをどのように腑分けするかに心を砕いてきました。さまざまな説を比較してみましょう。

光源氏という主人公の存在を重視するならば、彼の死を境に、物語が二つのパーツから構想されていると考えるのが普通でしょう。「桐壺」から「幻」までを前篇、「匂宮」から「夢浮橋」までを後篇とする二部構想説は、一番単純な理解の仕方ということになります。前篇では平安京を舞台にした光源氏の華やかな物語が、後篇では宇治を舞台にした薫の君のうら寂しい物語が、対照的に描かれています。

これに対して、歌人・与謝野晶子は「桐壺」から「藤裏葉」までを前篇、「若菜」以降を後篇と見なす型破りな二部構想説を提示しました。曰く、前篇は光源氏が栄華を極めたところで締めくくられ、その栄華が翳り始める後篇では「新味ある恋愛小説」が構想されているといいます。

さらに驚くべきは、前篇に比べて後篇が「冗漫」「未熟」であるとして、別人の手になると推測したことでしょう。別人説の是非はさておき、「藤裏葉」で前篇を結ぶという発想は、後述する三部構想説にも大きな影響を与えました。

石山師香筆 源氏物語八景(写真=Metropolitan Museum of Art/CC-Zero/Wikimedia Commons

「どこで区切るか」は地味だが重要な議論

一方、二部構想説に批判的な論者は「桐壺」から「若菜」まで一貫している因果応報のことわりを重視しています。冒頭でも述べた通り、光源氏と藤壺との姦通が柏木と女三宮との姦通によって報いられるという対応関係が、物語のなかで重要な意義を成していると考えたのです。

源氏物語研究会=編『紫式部と源氏物語の謎』(プレジデント社)

現在、広く受け入れられているのは、五十四帖が三部から構想されたとする三部構想説です。第一部が光源氏の誕生から栄華を極めるまでを描いた三十三帖(第一帖「桐壺」から第三十三帖「藤裏葉」まで)、第二部が光源氏の人生の翳りを描いた八帖(第三十四帖「若菜上」から第四十一帖「幻」まで)、第三部が光源氏なき世界を描いた十三帖(第四十二帖「匂兵部卿」から第五十四帖「夢浮橋」まで)という分け方です。

なお、巻名のみが存在する「雲隠」を一帖とする場合は、「若菜上」「若菜下」を「若菜」として一帖に数えます。

三部構想説を唱えた「源氏物語」研究の大家・池田亀鑑は、第一部の光源氏の物語と第三部の薫大将の物語を対照させ、結合部を第二部の柏木の物語にもとめることで、はじめて作者の意図が理解できると主張しました。一見地味と思われがちな構想論ですが、紫式部が物語を通して何を伝えたかったのかという問題を解決する鍵ともなり得る、重要な議論なのです。

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