「薬を飲めば改善する」というわけではない
実際、私は在宅医療で認知症の患者さん約300人に治療薬を処方しましたが、少し症状が改善したかなと思えたのは一人だけでした。逆に薬の副作用で興奮したり、徘徊がひどくなったりした人が二人いて、すぐに薬を中止しました。
残りの297人ほどは、ほとんど変化がありませんでした。もちろん、この人たちも薬をのんでいなければ、もっと進行したのかもしれません。しかし、のんでいなくても変化がなかったのかもしれません。
周囲も当人も認知症を受け入れる気持ちになれば、早期診断・早期治療の呪縛からも解放され、年を取ればこんなものと、軽く受け止めることができるのではないでしょうか。そういう状況は、仮に認知症になったとしても、比較的、周辺症状は少ないまま穏やかに過ごせると思います。
病名がわからず不安になる高齢者男性
私がかつて勤務した老人デイケアのクリニックでは、リハビリの施設もあり、理学療法士がいろいろなリハビリをしていました。
脳梗塞で車椅子生活だったJさん(78歳・女性)が、リハビリの甲斐あって自分の脚で少し歩けるようになりました。それまでは立ち上がることもできなかったので、大きな進歩です。Jさんは涙を流して喜びました。
「先生、ありがとうございます。こんな嬉しいことはないわ」
私は利用者さんたちの前でそのことを報告しました。
「Jさんはみなさんに励まされて、歩けるようになりました。みなさんも頑張ってください」
職員たちが拍手をし、利用者さんたちもそれに倣いました。近くにいたJさんの友だちが、「あんた、よう頑張ったな」と肩を叩くと、Jさんは涙と笑いで顔をクシャクシャにしていました。
すると突然、同じく歩行困難のあるGさん(72歳・男性)が、さっと手を挙げてこう言いました。
「先生。僕にもマイクロ(超音波治療器)をやってください。ローラーベッドもして、リハビリももっと増やしてください。お願いします」
我慢の限界を超えたような切羽詰まった声でした。
Gさんの歩行困難は少し変わっていて、亀のように背中が丸くなり、変形性膝関節症のため脚が極端なO脚で、うまく足が運べないのです。神経症状で杖もうまくつけず、脳梗塞やパーキンソン病ともちがう珍しい病態でした。大学病院でも検査を受けたそうですが、診断がつかず、病名は不明とのことです。それでよけいに苛立ち、不安と焦りを感じていたのでしょう。