けっして偉ぶらないで、相手の目線で話す

年上や上の立場でも、だれからも気軽に声をかけられる人のいちばんの特徴は、けっして偉ぶらず、自然体であることではないでしょうか。

数千人規模の会社社長である友人は、偉ぶらないし、媚びることもない。相手の目線でフランクに話すので、社内をふらりと歩くと、あちこちから「ちゃんとご飯食べてます?」「今度、こんな企画しませんか?」などと声がかかるのです。

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友人曰く「自分はたまたま社長という役割をもらっているだけ。一人ひとりの社員がなにかしら優すぐれた部分をもっているから、ほんとうに尊敬するよ」と、敬意をもって接しているので、社員もそれに応えようとするわけです。

しかし、立場が上になると多くの人はついつい偉ぶったり、知ったかぶりをしたり、上から目線でマウントをとったりしてしまいがち。どの世界にも威厳や権力を示して従わせようとする人はいるものですが、逆効果。まわりは上辺では合わせても「なによ、偉そうに」「器の小さい人間だ」と反感をもつのがオチです。

器の大きい人は、全体像を見ているので、相手の立場になって考えられるし、自分に非があれば素直に認めることもできます。目下の人間や、立場の弱い人にこそ、普段から礼儀正しく接して、丁寧で、わかりやすい言葉で話すようにしています。

そんな人に信頼を寄せて、人が集まってくるのは当然でしょう。

「わかりやすい言葉で話す」と書きましたが、それには知性が必要です。自分が詳しいことを、まったく知らない人にそのまま専門用語で話しても、まったく伝わらない。言葉を嚙み砕いて、相手に合わせてアレンジする必要があるのです。

そんなふうに「伝えること」ではなく、「伝わること」を意識してきた人はつねに謙虚で、偉ぶることもないはずです。

人はだれしも「認められたい」という欲求があります。だからこそ、押しつけでなく、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の謙虚な姿勢で、自然に認められたいものです。

相手に体ごと向けて、目の前の人との会話に集中する

だれもが自分自身が尊く、価値ある存在だと感じる“自尊心”を満たしたいと思っています。この自尊心とは、人間が生きていく根幹であり、とてもデリケートなもの。自尊心が満たされないと、他人との関係も自分との関係もうまくいかないのです。

あなたにはありませんか? 人から失礼な態度をとられて自尊心が傷つけられると、感情のスイッチが入って腹が立ち、批判的、攻撃的になってしまうこと。

「自尊心を満たしたい欲求は、空腹を満たしたい欲求と同じ」と聞いたことがあります。お腹が空いてたまらないときは、イライラして他人に目を向ける余裕がないもの。

それと同じで、他人からの敬意や愛、自分自身への満足などで心が満たされていないときは、それを埋めることに必死で、相手への理性も愛も働かなくなるのです。

面白いもので、マウントをとる人や、逆に卑屈になる人も、「この人は自分を大切にしてくれる」とわかった相手には、とても素直で理性的な人になることがあります。

では、さほど親しくない人の「自尊心を満たす」には、どうしたらいいでしょうか? 会話のなかで敬意を示すためには、ほめる、名前を呼ぶ、感謝するなどいろいろな方法がありますが、いちばん簡単で効果的なのは、目の前の相手に体ごと向けて、会話に集中すること。

あたりまえすぎて忘れがちな会話のキホンではありませんか?

人が話をしていてもスマホをいじっていたり、ほかのことを考えて上の空だったり、生返事をしたり……。そんな適当な態度は、意外に相手の自尊心を傷つけるのです。

「相手に体ごと向ける」という姿勢だけで、相手は「自分を大事にしてくれている」と安心します。また、会話に集中することは、ほかのことを排除することでもあります。大事な用事以外は、会話が終わってからすればいいでしょう。

「いまは目の前のあなたをいちばん優先します」という態度がとれる人は、だれからも愛されます。それほど自尊心を満たしてくれる人は、大切な存在なのです。