『火曜日の放火魔事件』

1980年代、日本がバブル経済に沸く真っ最中。ゴールデン街にも再開発の波が押し寄せ始める。その前夜ともいえるころ、1977(昭和52)年から営業している、G2通りにたたずむ会員制の店「のんちゃん」のママ・仲本規子さんは笑顔を浮かべて当時を回顧した。

「私がお店を始めたころのゴールデン街は空いてる建物はほとんどなかったかな。全部店舗で埋まってて、すごい賑やかで。開店したころはベビーブームのときに生まれた人たちが、ちょうどたくさん飲みに来てた時期でね。ガーッて働いて、ガーッと飲んで」(中略)

「のんちゃん」のママ・仲本規子氏(出典=『ルポ 日本異界地図』より)

そんなおおらかなゴールデン街にも、やがてバブル景気の負の風が吹き荒れることになる。1985(昭和60)年、東京都庁の新宿への移転が決定。街の「土地買い」に拍車がかかり、翌年には不審火騒ぎが起きるにいたった。

4月7日早朝、三光商店街では7店舗が全半焼する火事が発生。地上げがらみの放火と見られ、危機感を抱いた有志が「新宿花園ゴールデン街を守ろう会」を結成し、地上げや再開発に反対する活動を行っていった。

「地上げはすごかったですよ。それこそ変な火事がたくさんあった。物件の持ち主にはちゃんとお金を出して、店子は火をつけて追い出そうとしてるって噂にもなりました。

地上げとはまた別なんだけど、『火曜日の放火魔事件』っていうのがあってね。必ず火曜日にゴールデン街で火がつくっていうのがしばらく続いたから、3店舗でひと組になって火の用心して回ってたの。当時、火曜日にお休みのデパートが新宿にあったから、『そこの従業員の人じゃないか』って調べたけど、それらしい人がいなかった。結局、デパートとまったく関係ない人が犯人だったんだけど。

ゴールデン街でしめ縄を飾るお店が少ないのは、火をつけられると、あっという間に燃えちゃうから。でも、不思議なことに、うちの店は焼けてないの」

花園神社に近いから、そのご利益かもねと、ママは微笑んだ。

若い経営者が増えたワケ

バブル景気が崩壊した1990年代初頭、地上げはいったんの落ち着きを見せたが、今度は地上げによって空き店舗となった建物が目立ち、景気の後退によって客足も遠のいた。

1990年代はさながらゴーストタウンのようだったという。事実、1986(昭和61)年に約240軒あった店舗が、1998(平成10)年には約150店舗にまで激減している。

残った商店主たちは、この状況を逆手に取って各種インフラ整備事業を画策した。行政との交渉の末、インフラ更新工事が1996(平成8)年に始まり、翌年には工事が完了した。

また、2000(平成12)年以降、借地借家法の一部改正によって貸し主は期間を決めて物件を貸し出すことが可能になった。満期になれば契約を解除することができるため、オーナー側も店舗を貸しやすくなり、若手経営者による出店が増加した。