実の祖父とは知らずに三谷家の当主から法事に呼ばれた

執拗しつような説得に、うめもとうとう屈した。静子が法事に出席することを了承してしまう。間が悪いことに夫の音吉から早く戻ってくるように催促がきて、静子をひとり残しうめは八郎を連れて先に大阪へ戻ることになった。自分が見ていないところで三谷家の親族たちが静子に何か吹き込んだりしないかと、不安でしょうがなかったのだが。銭湯の商売は忙しく、自分がいつまでもここに居るわけにはいかない。

静子はひとりで残り、引田の伯父宅で寝泊まりしながら法事に出席することになった。久しぶりに訪れた屋敷に入ると、広間を埋め尽くして大勢の人々が座っている。豪華な料理もふるまわれた。じつはこの屋敷は借金のために人手に渡っており、祖父たちは隣の小さな離れに住んでいるという。法事のためにこの日だけ母屋を借り、無理をして料理や酒をそろえたのだろう。名家は没落していたようだ。

静子からすれば、そんなことはどうでもいい話。もう10年以上も行き来していない縁遠い親戚だと思っていただけに……しかし、その法事になぜ自分だけが呼ばれるのだろう。に落ちない。

宴会の場でとつぜん自分が養女だったと知らされ…

彼女が少女歌劇の舞台に立っていることは地元でも知られている。つまり、親戚筋の有名人を法事に出席させて、没落した名家の面目を保つということか。と考えて、一応は納得していたが、すぐに自分がここに呼ばれた本当の理由を知ることになる。法事の同席者たちから求められて、レビューの踊りや歌を披露した。みんな大盛りあがりして喜ぶ。しかし、酒が入って口が軽くなっていたようで、

「見事なもんやなぁ、あの時の赤ん坊が立派になって」
「陳平が生きとったら、きっとこの娘を家に呼び戻していただろうになぁ」

などと、言ってはならない事をしゃべる者がでてくる。うめは伯父に出席者たちの口止めを徹底するよう言い含めていたが無駄だった。不審に思った静子は、法事を終えてから従姉妹や伯母を激しく問い詰めた。その勢いに気圧けおされた伯母が出生の秘密をしゃべってしまう。

母も父も弟も、家族がみんな自分と血のつながらない他人だったとは……これまで信じてきたものがすべて崩れ落ちたような、言葉にできない衝撃をうけた。

大阪松竹座にて、松竹楽劇部(後のOSK)による「春のおどり」フィナーレ(写真=『松竹百年史』1932年より/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons