故人の「ちゃんとしてね」が呪いになる
空き家活用株式会社の和田代表は「亡くなった人の『ちゃんとしてね』という言葉は呪いになってしまう」と指摘する。
「維持してほしいのか、売っていいのか、何をどうすれば『ちゃんとした』ことになるのか、明確でないので言われた側は悩みます。故人の意図を想像しても答えは見つからず、迷いが深まるばかりです。ひとまず一周忌まで置いておこう、三回忌まで置いておこう……と、ずるずる対応を先延ばしにしてしまっているうちに、自分も年を取って愛着が増していく。そうして手放せなくなって困っている方たちを数多く見てきました」
老いとともに気力体力が低下すれば、先延ばしにしてきた問題に向き合うべく奮起するのは難しくなる。管理に通うのも徐々に億劫になって足が遠のいてしまう。
前出の上田理事は「当初は頻繁に管理に通っていても、時間がたつに連れてだんだんと疲れて間隔が空いていき、そのまま行かなくなるケースはよくあります。年を取ればなおのこと大変です」という。
管理をしなくても自分自身には影響なく過ごせてしまう
それでも過ごせてしまうのは、空き家が当人にとって“自分のもの”と捉えにくいからだ。上田理事の著書『あなたの空き家問題』(日本経済新聞出版、2015年)では以下のように分析している。
「空き家を放置してしまう原因の1つに、放置しても所有者はあまり困らないことが挙げられます。放置されて困るのは、周りに住む人や、その近くの道を使う地域の人です。さらに、空き家の様子は現地に行かないとわからないことも放置されてしまう原因の1つです。(中略)管理をしなくても自分には大した影響がなく、さらに見に行かないと状態もわからないとなると、所有者は罪悪感を抱きながらも放置しがちになってしまうのです」
取材を重ねる中で「実家だった家が荒れ果ててしまったことを直視できない人は多い」という話をよく聞いた。思い出の中のきれいな姿で時が止まっていて、いつか再び訪れる日までそのままの状態で待っている――そんな感覚に陥ってしまうのだ、と。
「ご両親や親族の死によるつらさは時間が解決してくれる部分があると思いますが、空き家対応において時間は敵です。思考停止していると状況はより悪化していきます。放置すれば放置しただけ資産価値も下がります」(上田理事)
放置された空き家は周辺の不動産価値も下げてしまう。前掲書によれば、上田理事が知る中には「隣に景観を損ねる程度の空き家があるため、相場よりも低い価格となります」と査定で明言されたケースがあるという。