窓はその存在自体が情報でありメッセージ
だが、事はそう単純ではない。
南面に設ける掃き出し窓は、はいそうですかと簡単にはやめられない事情があるのだと森山さんは言う。
「掃き出し窓に限った話ではありませんが、窓という部材は建築物の1材料という枠を超えて、建物にさまざまな付加価値を与える特別な部材なんです。窓の大きな家、窓のたくさんある家と聞くと、私たちは例外なく、その家に明るさや光、夢や希望といったポジティブなイメージを抱きます。そこが重要なんです。
道路際に大きな窓を設けてもどうせカーテンが閉めっぱなしになるのだからと、最初から窓のない家をつくって売り出したらどうなります? おそらくその家は売れ残ると思います。窓はその存在自体が情報でありメッセージなんです。極端にいえば、いまの消費者は窓に採光や通風といった窓本来の機能を求めてはいません。
彼らが求めているのは、『私の家には大きな窓がついている』という事実だけなんです。そう考えると、道路際の掃き出し窓がなくならない理由もなんとなく分かると思います」
デザインとしての窓が思わぬクレームを誘発する理由
わが国で家庭用エアコンが普及し始めるのは1960年代以降である。以来、窓は「風通しのための開閉装置」という役割を急速に失い始める。室内環境の調整はもっぱらエアコンにゆだねられたためだ。
エアコンの登場は、室内環境だけでなく住宅のデザインにも大きな影響を与えた。設計上求められる要件のうち、「風通し」のプライオリティが著しく下がると、窓を住宅デザインの1要素として扱える余地が大幅に拡大したのである。
それまで開閉を前提としていた窓は、開閉しなくてもよい「はめ殺し」でも許されるようになった。そして窓の役割は、「採光による光のデザイン」「ガラスによる建築デザイン」の2つに大きく傾いていく。デザインとしての窓は、建物に明るさ、軽さ、希望、未来といったポジティブなイメージを付与する記号としても期待されるようになった。
ただ残念なことに、窓をたんなるデザインアイテムとして捉える建築家が増えると、建物のさまざまな箇所でトラブルが生じるようにもなった。デザインとしての窓が思わぬクレームを誘発した例は、ここ数10年枚挙にいとまがない。
ある日、川崎市に建築士事務所を構える女性建築家のもとに、かつての施主から緊急の電話が入った。急ぎ相談したいことがあるという。
「最近、地元の友人が戸建てを購入したんです。先週引っ越したばかりなのですが、これではとても住み続けられないと言ってさっそく落ち込んでいます。先生、ちょっと相談に乗ってあげられないでしょうか」
次の土曜日、建築家はクルマを飛ばし群馬県にある元施主の友人宅へと赴いた。丁重な出迎えを受けリビングに通されると、彼女はすぐさま「住み続けられない」の意味を察した。
その家は南面がほぼ吹抜けだった。1階の南面には大きな掃き出し窓、2階の南面には大きなはめ殺しの窓。とても明るく日当たりの良い家である。だが、その日当たりが曲者だった。さんさんと照りつける太陽は、梅雨が明けたばかりのリビングを真夏のビニールハウスに変えていたのである。
「この家は軒も庇も出ていないから、太陽の熱がみな家の中に入ってくるんです」
建築家は太陽のほうを指差しながら、窓の位置やサイズ、日射をさえぎる軒や庇の出の短さによってリビングに大量の熱が侵入している状況を説明した。
窓の内側にはブラインドがついていたが、一般的な内付けブラインドでは日射遮蔽の効果にも限界がある。住み手はその場で、急場をしのぐ改修工事を依頼したという。