天皇の廃位を企んでいた可能性

道真が失脚する前年、文章博士の三善清行がそんな道真に対して手紙を送った。

「あなたとはまだあまり親しくないので、ご無礼を許してほしいが、あなたのために忠告します。もう十分栄達したはずです。これほどの出世は吉備真備以来でしょう。だから身の程をわきまえ、その地位を退いたほうがよろしい」そう引退を勧告したのである。

河合敦『平安の文豪』(ポプラ新書)

だが、それでも辞任しなかったことで、最終的に左遷の憂き目にあってしまったのだ。いずれにせよ、貴族界で反道真の雰囲気が醸成されていたからこそ、時平の策謀がうまくいったのだろう。

ただ、ここから驚くような話をする。道真の陰謀は濡れ衣ではなく、本当に彼は醍醐天皇の廃位を企んでいたのではないかという説があるのだ。すでに戦前から幾人もの学者たちが唱えてきた。

たとえば滝川氏は、『扶桑略記』の延喜元年(901)七月十日条をあげ、道真自身の計画ではなかったが、源善の誘いを断ることができず、乗ってしまった可能性を指摘している(滝川幸司著『菅原道真学者政治家の栄光と没落』中央新書)。

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