海外の目を意識した「先進国としてのマナー」

エスカレーター文化史を研究する江戸川大学の斗鬼正一名誉教授によれば、右側に立ち、左側を空ける片側空けが世界で初めて行われたのはロンドンの地下鉄駅だという。いつどんなきっかけで始まったかは明確になっておらず、第2次世界大戦中に混雑対策として公務員が思いついたという説があるようだ。

片側空けはエスカレーターの普及とともにヨーロッパ、アメリカなどに広がり、当時の「先進国」では当然のマナーとされており、オリンピック、万博を経て本格的な国際化を迎える中で、外国人の目から見て恥ずかしくない振る舞いが求められた。

傍証として斗鬼は、2002年の日韓ワールドカップの開催を控えた仙台で、国際化を意識した市民により自然発生的に片側空けが始まった例や、2008年のオリンピックを控えた北京で「文明乗梯右側站立左側急行(文明的なエスカレーター利用は右側に立ち左側は急ぐ人のために空ける)」とのマナーキャンペーンが行われた例を挙げている(斗鬼正一「空けるな危険! エスカレーター片側空けパンデミック」より)。

同じ時期に、より長いエスカレーターが設置された新御茶ノ水駅では、外部の視線を意識する必要がなかったため片側空けは行われず、エスカレーターを歩こうという人もいなかった。当時の新聞記事の写真を見ても、ステップの中央に立ち手すりにつかまる「理想的」な利用方法をしていたことが分かる。

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関東の「右空け」は自然発生的に定着したか

それどころか毎日新聞(1977年12月16日)のインタビューに対し、開業時の駅長が、遊園地へ行くより安上がりとして孫の手を引いて毎日エスカレーターに乗りにくるおばあさんがいたと回想している。当時の日本最長のエスカレーターは、まだまだアトラクションだったのである。

そんな中、関西では着々と片側空けが広がっていく。1981年に開業した京都市営地下鉄、1985年に新神戸駅に到達した神戸市営地下鉄で、片側空けを呼びかける放送や掲示が行われ、1990年代に入っても近鉄布施駅、京阪京橋駅、JR東西線北新地、大阪天満宮、海老江駅などでマナー啓発が行われた記録があるという。

この頃になると片側空けは関東でも行われるようになり、1989年9月2日の読売新聞は「最近、新御茶ノ水駅にロンドン方式らしい現象が現れるようになった」と伝えている。

1992年2月24日付朝日新聞夕刊が「東京のサラリーマンの通勤風景に『新秩序』が生まれつつある」として、鉄道事業者が音頭をとって「左空け」が定着した関西に対し、自然発生的に「右空け」となったと報じていることからみても、本格的な定着は90年代以降のことのようだ。

では当時の人々は片側空けをどう考えていたのか。1981年6月25日、7月9日に掲載された朝日新聞の特集記事から見てみよう。