家光に女性2人を会わせ、世継ぎを生ませる

3代将軍となった家光は男色の気味があるといわれていた。それで世継ぎができないことを心配した春日局が家光にすすめたのが参議六条有純の娘で、当時16歳、伊勢内宮の慶光院比丘尼であった。彼女は住職になった御礼に謁見に参上したのである。

徳川家光(画像=金山寺蔵、岡山県立博物館寄託/ブレイズマン/PD-Japan/Wikimedia Commons

彼女は美顔玲瓏れいろう艶麗えんれい極まりなく、作法もしとやかであった。家光も僧の頭をした尼姿の美女だったので、美少年好みの趣味と通じるものがあったのであろう。

春日局は、彼女を江戸にとどめ、還俗げんぞくせしめ、名をお万の方と改め、家光のお付きとし、女中全員の行儀と躾をまかせた。家光も彼女を寵愛したのである。

ところがお万の方の勢力が強すぎるようになるのを心配した春日局は、血眼になって町人の中からお万の方と似ている娘を見つけ出した。これがお楽の方であった。

彼女が大奥の女中となると家光の目に留まり、やがて男子を出産、のちの家綱となる。家光38歳、春日局は63歳になっていた。

圧倒的権力の裏に、家光・家綱からの絶大な信頼

盛大に執り行われた家綱のお披露目式では、春日局が家綱を抱いて、徳川御三家をはじめとする諸大名たちと相まみえた時、一同彼女に平伏したという。春日局が家光から絶大の信頼を得ていたことは、彼女が病に伏せた時に家光が3度も、家綱が2度も見舞いに来ていることからも窺い知れる。

若かりし頃の家光が疱瘡に病むと、春日局は東照宮を参拝し、「どうぞ自分を身代わりにしてください。そのかわり私は一生薬を飲みません」と誓った。誓いを守り通すため、春日局は見舞いに来た家光自ら出してくれた薬湯を飲む真似をして襟元に流し込んだといわれている。

母親のお江が亡くなると、家光は春日局に命じて、大奥のすべてを任せることになる。慎重で男にも女にも尊敬されるような彼女は、大奥の規律をきっちりと定めてこの世を去った。