嘘を信じた日本人は「報復」に燃えた
軍の宣伝ビラの効果は覿面だった。嘘のビラを信じる人がいた。
8月27日、山田のもとに叔父から手紙が届く。
「8月15日、突如として重大声明の発表あり〔……〕本日ただいまより報復の準備にとりかからねばならない」
山田は翌日の日記に「叔父のような人間は今全日本に充満している」と記している。日本は8月15日を境に、復讐戦に立ち上がったかのようだった。
デマから読み取れる天皇制への不安
敗戦直後のさまざまなデマや流言のなかで、際立つのが天皇制のゆくえに関するものである。
8月17、20日の両日、池袋・元富士・丸ノ内の各警察署の管内の上空から、「友軍機」(味方の軍の飛行機)がビラを撒布した。「皇陸海軍」名のこのビラは、「敵は畏くも玉体〔天皇〕を沖縄に御移し奉るべきことを放送し来れり」。
このような事実はなく、まったくのデマだった。8月19日に上野駅付近で撒かれた「陸海軍精鋭七生義軍」のビラは、「天皇処断/皇族島流し/果せる哉マッカーサーはこの暴虐を宣言して来た」となっている。事実無根だったことはいうまでもない。
あるいは神奈川県知事名の文書「大東亜戦争終結に伴う民心の動向に関する件」は、天皇制のゆくえに関する神奈川県民の動向として、つぎのように記録している。
「皇室の御安泰即ち国体を護持し得たことは心から喜び居るも将来の見透しなきため相当不安の色あり」
天皇制のゆくえは不確かだった。
天皇制のゆくえに関して、警視庁保安課政治係が10月3日にまとめた文書によれば、その最大公約数的な「『デマ』的憶測」は、天皇が「戦争責任者」として譲位し、皇太子はアメリカに「遊学」する、「親米英的なる秩父宮殿下が摂政」になる、というものだった。日本は無条件降伏をした。天皇制がどうなるかはわからなかった。それにもかかわらず、デマではあっても日本の国民は天皇制の存続を前提としていたことがわかる。