23歳の青年から届いた一通の手紙
しかし鈴木さんは反対を押し切り、FCの1号店を豊洲にオープンさせました。
なぜ、第1号のお店をFCにしたのか?
その時のエピソードが鈴木さんの著書『変わる力 セブン‐イレブン的思考法』(朝日新聞出版刊)に書かれていますので、以下に引用させていただきます。
1号店は、セブン‐イレブンの看板で独立した商売をするフランチャイズ店にしようと決めていました。他のメンバーはノウハウを実地で身につけるためにも、最初の数店は直営店でやろうと言いましたが、セブン‐イレブンの創業目的が「小型店と大型店の共存共栄」「既存小売店の活性化」にあることを示すためにも、私はこれを押し通しました。
そのようなとき、新聞記事を見た東京都江東区在住の山本憲司さんという23歳の青年から、私たちのもとへ「やってみたい」と手紙が届きました。
彼は、お父様が亡くなられたため大学を中退して家業の酒屋を継いだばかり。酒販店は免許制で保護されているため儲かってはいるが、酒類は公定価格のようなもので、今後大きな売上増は望めません。結婚したばかりの妻や、妹弟を支える大黒柱として、このまま酒屋をやっていていいのだろうかと考えていたときに、新聞記事に載っていたセブン‐イレブンという新しい店に「ひらめき」を感じたそうです。
店はアメリカの3分の1の広さしかなく、決して人通りの多い立地ではありませんでしたが、彼の責任感と、新しいことに果敢に挑戦しようという熱意に胸を打たれ、「ぜひ一緒にやりましょう。もし3年後に失敗していたら、私が責任を持ってお店を元通りにしてお返しします」と、約束したのです。
1974年5月15日、日本初の本格的コンビニエンスストア、セブン‐イレブン豊洲店がオープンしました。準備期間は3カ月間。急ピッチで山本さんの店舗を改装し、並行して彼自身にも「コンビニエンスストア」の運営ノウハウを学んでもらう研修をするなど、慌ただしい日々を共に過ごして迎えたオープンでした。雨模様の日でしたが、目新しさもあって、多くの人が来店してくれました。最初のお客様は男性。購入してくださったのは、800円のサングラス。今も忘れられません。
いかがでしょうか?
こうして「うまくいくはずがない」という社内の反対を押し切り、1店舗目のFCをスタートさせたセブン‐イレブンがその後にどうなったのかは、あえて書き記すまでもないでしょう。
コンビニ以上の5倍多い美容室業界で継続的に成長できた理由
セブン‐イレブンとは経緯が違いますが、現在、僕も数多くのFCを抱えるディアーズグループの代表です。
その代表として、この本を読んでいるあなたに何よりも伝えたいのは、次のメッセージです。
やりようによっては、必ず勝てる。
美容室業界は「レッドオーシャン」(血で血を洗うような激しい競争が行われている既存市場のこと)と言われますが、厚生労働省の統計によると、2018年度の店舗数は全国で25万軒を超えているそうです。
一方、日本フランチャイズチェーン協会の調べによると、2018年度の全国のコンビニエンスストアの店舗数は5万8340店となっています。
コンビニエンスストアの店舗数と比べてみても、美容室がいかに競争の激しい業界であるかが分かるでしょう。
しかし、それを嘆いてみたところで、状況は何も変わりません。
先ほどご紹介した鈴木さんの著書には、次のようにも書かれています。
ビジネス上、ライバルは少ないほうがいいと思いがちですが、競合他社、あるいは競合店がないと、往々にして事業がうまくいかなくなることが多い。小売業で言えば、周りに競合店がないと、お客様は他に店がないために来てくれていることに気づかず、変革する努力を忘れてしまうためです。
商売がうまくいかないときは、誰かのせいにすれば楽です。しかし、楽のあとに成長はありません。己の欠点を受け止め、改善する努力を怠らず、新しいことに挑戦し続ける。そうした地道な取り組みなくして、継続的な成長はないのです。
鈴木さんのおっしゃるとおりだと思います。
僕自身が「レッドオーシャン」と言われる美容室業界で、たった数年で店舗を急拡大できたのは、ディアーズが変革と挑戦を怠らなかったからです。
「これからどうしていけばいいのだろうか……」
そのように悩む美容室経営者は、全国の津々浦々にいらっしゃいます。
そうした美容室経営者の受け皿となり、業界をより活性化していけるよう、ディアーズは変革と挑戦を続けています。