子どもの頃から、幽霊、妖怪、UFO、超能力が大好きだった
宇津呂さんは1973年、尼崎市の北部にある住宅街で生まれた。子どもの頃から、幽霊、妖怪、UFO、超能力などの話に目がなかった。当時はテレビでも関連番組がよく放送されていて、かぶりつくように観ていたという。
「たしか『スタジオ2時』という情報番組が毎週月曜日、『2時のワイドショー』と『3時にあいましょう』が毎週水曜日に心霊特集をしていて、毎週めちゃくちゃ楽しみにしていました。『スタジオ2時』に心霊現象の専門家として出演していた中岡俊哉さんは大ベストセラーになった『恐怖の心霊写真集』とかたくさん本を出していて、買い揃えました。中岡さんにはすごく影響されましたね」
両親や一緒に暮らしていた祖母は宇津呂さんの「怪奇趣味」に寛容で、「欲しい」と言えばどんなオカルト本でも買い与えてくれたし、怖そうな番組や映画が放送される日は、「今日の夜、こんな怖いテレビやんで」と教えてくれた。宇津呂さんを自分の息子のようにかわいがってくれた近所の夫婦も理解者で、よくオカルト本をプレゼントしてくれたそうだ。
「子どもの頃に買ってもらった本は、今もぜんぶ取ってあります。プレミアがついて1冊2万円、3万円になっているものもありますけど、もはや自分の一部ですから、売ったりできません」
小学生の時のヒーローは殺人鬼・ジェイソン
身近な人から否定されることなく伸び伸びと育った少年は、親せきの集まりがあるたびに「なにか怖い話をして!」とせがみ、学校では学級文庫にオカルト本を置いて、興味を持つ仲間たちと怪奇トークに花を咲かせた。ホラー映画も大好きで、小学生の時のヒーローは映画『13日の金曜日』シリーズに登場する殺人鬼、ジェイソンだった。
「スプラッター映画はたくさんありますけど、ジェイソンは殺しのバリエーションが豊富で突出していましたね。テレビで放映される時は必ず録画して、殺しのシーンをコマ送りで観てました」
このエピソードを聞いて思わず、「そんなもんばっかり見てたらダメとか言われませんでしたか?」と尋ねると、宇津呂さんは飄々とした表情で、「言われなかったですね」と首を振った。
「怖いものを見るのを止められたことはないですね。あんまり人前で言うなみたいなのはありましたけど、うちの親は寛容だったんです。友だちにも恵まれていました。僕ほど興味を持っていなくても、ホラー映画や矢追純一さんのイベントに一緒に行ってくれたりして。僕の趣味趣向を育んでくれる環境じゃなかったら、今の自分はなかったと思います」
鬱々とした社会人生活
小中高とどん欲に趣味を追求した宇津呂さんだったが、追手門学院大に通っていた学生時代、演劇に目覚めて役者を志す。
大学卒業後、大阪で役者の勉強を1年してから、上京。土地勘もなく、家賃が安かった埼玉県川越市にアパートを借り、医療機器の製造をしている工場でアルバイトをしながら、演劇に情熱を傾けた。半年後には工場に就職し、会社員として勤めながら夢を追う生活だった。