最新調査でわかった犬山城
では、現存する天守で、松本城乾小天守より古いものはあるのだろうか。あるとすれば国宝の犬山城天守である。
3重4階の犬山城天守の建築年代は、昭和52年(1977)に西和夫氏が、1重目と2重目は慶長6年(1601)ごろで、3重目は元和6年(1620)ごろに建て増しされた、という説を発表し、長く有力だと考えられてきた。
ところが、令和3年(2021)3月に犬山市教育委員会が、天守の部材について年輪年代法による調査を重ねた結果、1、2階の通し柱は天正13年(1585)、4階の床を支える梁は天正16年(1588)に切り出されたことがわかった、と発表した。調査に携わった名古屋工業大学名誉教授の麓和善氏は、「天正13年(1585)から同18年頃にかけて、一階から四階までが一連で建設されたことは、もはや疑う余地がない」と記している(『国宝犬山城天守の創建に関する新発見』)。
しかし、木材の伐採年だけでそこまで断定できないという声は専門家の間では根強く、結論は出ていない。したがって、現時点で「現存最古の天守」といえるのは、石川数正が構想し、天正19年(1591)から文禄3年(1594)に建てられた松本城乾小天守だということになる。
忠臣だった数正の出奔は、大河ドラマの視聴者にも衝撃をあたえたようだ。その後日談を知りたい人は多いと思われるが、じつは「後日談」は、いまも国宝として建ち続けているのである。