あえて危険度の高いルートを選ぶとは考えにくい

実はこの山には山頂を目指すルートがもうひとつある。山頂へダイレクトに登ることができるルートだが、険しい岩場やロープを使用しなければならないほどの難所もあり、遭難事故が絶えないため封鎖され、立ち入り禁止の看板とロープが張られている。しかし、近年ではSNSの普及から、こうしたルートをネット上で紹介している人物もいるため、このルートから山頂を目指す登山者もいる。

当初進められた管轄警察と地元の有志による捜索活動も、危険度の高いこの立ち入り禁止ルートを中心に行われていた。Mさんが当初の登山予定を変更し、過去に多くの遭難が発生しているダイレクトルートを利用したのではないか、と考えたようだ。

だが、そこは幅の狭い急峻な尾根だ。その上、時には岩場を登るため四つん這いになったりしないといけない。もちろん、Mさんがいつも利用しているストックなど、使う余裕はない。Mさんが、難所が多く存在し、立ち入り禁止の看板がある入り口のロープを越えてまで、このルートを選択したとは考え難かった。

強風で向きが動いてしまった矢印看板

私たちは、Mさんは当初の予定通り一般登山道から登ったと考えた。

一般登山道から山頂を目指した場合、稜線へ出るまでの間で道迷いや転滑落の危険性は極めて低い。道迷いや転滑落の事故が起きたとしたら、登り始めてから1時間半〜2時間後にたどり着く、起伏の激しい稜線上である可能性が高い。標高は山頂とほぼ同じだが、整備されていない樹林帯で、登山道が分かりにくい。また、急峻な地形のため一歩登山道を外れてしまうと、数十メートルから場合によっては数百メートル下まで滑落してしまう危険箇所が多く存在する。

写真=著者提供
一般登山道の稜線の様子。木の根や岩で、どこがルートなのか判別しにくい

捜索中、警察の捜索に協力していた地元の方から、ひとつ気になる話を聞いた。

一般登山道を登って稜線上へ出た所で、道はT字路となる。そこには「槍ヶ岳」という文字と、山頂への方向を示す矢印が描かれた看板が木にロープで結び付けられている。

写真=著者提供
木にロープで結び付けられた看板

Mさんの遭難直後に、その協力員の方が看板を見たら、風でロープが動いてしまったのか、看板の矢印が正しいルートから45度くらいズレていた。そのため反対側を示しているように見えた、と言うのだ。

このT字路をちゃんと右に曲がれば山頂に着く。もしかして、Mさんは間違った方向にズレていた看板を信じて、山頂とは反対側へ向かったのか?

それは少し信じ難かった。なぜなら、Mさんが登った日は天気も良く、一般登山道を登っていれば、右側にしっかりと急峻な地形と山頂を望めていたはずだからである。協力員の方も「さすがに左には行かないと思うんだよね」と話していた。