暴走族が爆音を鳴らし改造車を走らせていた昭和ではない

まあでも、「昭和の茨城」だったらわかるんですよ。いわゆるヤンキー、暴走族のイメージ。たしかに毎週末、暴走族が爆音を鳴らしていましたよ。改造したバイクや車で危険な運転をする若者も日常の光景の一部でした。その事実は認めます。

しかし、平成の30年を経て今は令和ですよ。さすがに令和の茨城ではあり得ないです。相変わらずマナーが悪いというイメージは残っているでしょうが、みなさん昔のイメージに引っ張られ過ぎじゃありませんか?

といいますのも、私自身、毎日茨城で車を運転していますが、待っている車を入れてあげたり、入れてもらったらお礼をしたりと、みなさん親切に譲り合って運転しています。危険運転やあおり運転などは、一部の例外だと思いますが、いざ実際に遭遇すると「これだから茨城のドライバーは……」となってしまうものなのでしょうね。

写真=iStock.com/Kei Oguchi
茨城県水戸市

右折車が「われ先に」とダッシュしたわけではない⁉

そもそも茨城ダッシュだって、ゆずり合いの精神から生まれたものですよね。意外かもしれませんが、右折車が「われ先に!」とダッシュしたわけではなく、直進車が「お先にどうぞ」と譲ったのです。というのも、昔の交差点は右折レーンがなく狭いところが多かったので、先頭車両が右折待ちだと、その後がつかえてしまって渋滞が発生してしまうわけです。それを避けるために対向車線の車が「どうぞ先に曲がって」と合図してくれ、先頭の右折車を先に行かせてくれたのが、茨城ダッシュのルーツでしょう。

だから本来は茨城ダッシュじゃなくて「譲り合い右折」「思いやり右折」、つまり、全体の流れを考えて選択された右折なんですね。それが「わがまま右折」の茨城ダッシュとして、いつの間にか独り歩きしてしまったのは悲しいですが。

他の地方を見てみても、例えば、松本ルールがある松本は城下町で道幅が狭く、山梨ルールの右折車優先も狭い道路事情が根底にあるようで、けっして民度が低いからではなく、その地域ならではの交通環境の影響がやはり大きいのだと思います。その土地の事情に合わせて最適化された運転間隔が、正規の交通ルールとのズレを引き起こし、そのズレが大きいほど、マナー違反や交通事故につながっているという図式です。