解散の「大義」は必要か

そもそも大義とは何か。改めて、しっかりとこの言葉の意味を振り返る必要があるだろう。三省堂「国語辞典」によると『大義』とは……。

① 人として踏み外してはならない、最も大事な道。

② 国家・君主に対する忠誠。「――親を滅す(=『大義』と親・兄弟の身の保全と二者択一すべき時には後者を捨てる)」。

③ 「大義名分」の略。「――のない戦争」『――名分』

④ 人の臣子である限り守らねばならぬ実践道徳の究極の一線

⑤ 他に対してうしろめたさを感じないで、何かをやってのけるだけの恥ずかしくない理由。「――が立つ。――を欠く」

とある。上記記述の中で、解散の大義を考えるならば、⑤他に対してうしろめたさを感じないで、何かをやってのけるだけの恥ずかしくない理由が、解散に存在するかどうか、であろう。であるならば、何が恥ずかしくて、何が恥ずかしくないのかは、総理の「羞恥心」の度合いにかかっているともいえる。つまり、「この解散は大義がなくて恥ずかしい」と誰が思うかということである。

岸田政権が誕生して、1年8カ月経ち、この間、防衛強化に対する増税、原子力発電を主軸とするエネルギー政策への転換、次元の異なる少子化対策などさまざまな政策が打ち出された。

こうした政策を推進させていくべきか否かを問うことは「大義」となりえるが、それはうしろめたさを感じる「大義」だろうか。また、岸田政権はこうした大枠の政策だけでなく、スタートアップ支援やリスキリング支援、賃上げ税制といった政策を打ち出している。こうしたことも評価の対象となるだろう。

「自民党を支持しているから」「総理の人柄がよいから」という政策評価だけでない部分で投票する人もいるだろうが、選挙となれば、多くの人にとって、「自分の関心テーマ」に沿った評価表が作られる。防衛増税に反対する人や脱原発政策を支持する人は、岸田政権にはNOを突き付けるかもしれない。

つまり、選挙というものに「大義」が必要かと言えば、大義不要であり、そもそもが「成績表」なのだと筆者は考える。安倍元総理の2014年の「消費税延期」選挙は、大義は消費税延期だったかもしれないが、政権を奪還した後のアベノミクスへの評価が選挙の争点であった。2017年の「国難突破」選挙は、消費税の使い方を変更し、幼児教育の無償化が大義だったかもしれないが、安倍政権を続けさせるかどうかを国民が審判する2014年以降の安倍政権への「成績表」だったのである。

そもそも、岸田総理は、2021年10月4日に岸田政権を発足し、たった10日後の14日に衆議院を解散している。10日で岸田政権に成績表を付けるなど土台無理な時に、である。解散の大義が紙面を踊る昨今であるが、「大義など後からついてくる」。そういってのけた古賀氏の考えに筆者も賛同する。選挙はやってみなければわからない。吉と出るか凶と出るかは天のみぞ知ることだ。岸田総理は、粛々とこの1年8カ月の「成績表」を国民に委ねればいい。大義は後からついてくるのだから。

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