発見された凄惨な9人の遺体
一行の連絡が途絶えたため、2月下旬に捜索隊が結成された。厳しい条件下、まず雪に埋もれた無人のテントを見つける。中にはスキーブーツがずらりと並び、食料やリュックなどがきちんと整頓されていたが、テント布は内部から切り裂かれていた。
やがてそこから数百メートルほど下ったヒマラヤ杉の近くで2遺体が発見される。ともに木から落ちたような傷と、火傷の跡、口から泡、上着もズボンも靴も身につけていなかった。零下30度にもなる場所だから、これは命取りである。死因は低体温症とされた。
次いで、その木とテントの中間地点の雪の下に男女3遺体が見つかる。1人は隊長ディアトロフで、服は別のメンバーのもの、帽子や手袋はなく、靴も履いていない。格闘したような跡が見られた。もう1人の男にも格闘した形跡があり、頭蓋骨を骨折していた。
靴下は何足もはいていたが靴はなし。女子学生はスキージャケットにスキーズボンと、服装はきちんとしていたもののやはり靴はなく、手に多数の打撲傷、胴の右側部に長い挫傷。3人とも直接の死因は低体温症らしい。
他の4人はなかなか発見されなかった。何度目かの捜索でやっと5月初旬に、件のヒマラヤ杉からさらに離れた小さな峡谷(テントから1キロ半も先)で発見されたが、どの遺体も凄惨そのもので、先の5人がごく普通の死に思えるほどだ。
女子大生の遺体は、舌が丸ごとなくなっていた
全員、靴を履いておらず薄着。下着姿の者までいた。また全員、骨に著しい損傷があり、落下が原因とは考えにくい暴力的外傷だった。解剖医は、車に轢かれたような、と形容したという。ただし最初に発見された男性の遺体は水に浸かっていたため腐敗が進みすぎ、死因の詳細が突き止められなかった。顔の見分けがつかず、頭蓋骨も露出。
あとの男2人は、それぞれ肋骨が何本も折れ、また頭部に烈しい損傷を受けていた。1人の衣服からは放射能も検出される。さらに痛ましいのは女性で、肋骨が9本も折れ、心臓の大量出血、口腔内からは舌だけが丸ごとなくなっていた。そして彼女の衣服からも、高レベルの放射能が検出されたのだった。
なぜ彼らはテントを離れたのか
ウラル科学技術学校の男女学生6人、及び同大卒業生2人、臨時に加わった退役軍人1人からなる9人のトレッキング・グループは、真冬の「死の山」の斜面の雪を掘って大きなテントを張り、夕食を終えた6、7時間後、ブーツを脱いで眠りについた(あるいはつこうとしていた)。
真夜中、だがなぜか全員そのままテントを飛び出る。幾度も雪山トレッキングを経験してきた彼らが、零下30度にもなる戸外へ靴も履かずに出たらどうなるか、知らないはずがない。まして漆黒の闇だ。雪の白さをもってしても、また数人が手にしていたマッチや懐中電灯の明かりがあったとしても、元の場所にもどれる可能性は限りなく低い。テントを離れることは、即ち死を意味する。