「男性を育児から排除してきた」ことが最大の問題

さきほど、つわり中の食事で妻の怒りを買ってしまった父親の話をしたが、これは決して稀な話ではないだろう。多くの父親が試行錯誤しつつ育児に挑戦し、結果として断片的な知識から間違った行動を取ってしまう。一つ一つは小さくても、積み重なれば母親からは「ダメな父親」という扱いを受けてしまいかねない。

更には後ほど触れていくが、「産後クライシス」や「父母で異なる思考の変化」により、出産直後は考え方・知識・経験、そして身体の状況含め、父親と母親で大きなズレが生じてしまっている。この状況で父親が育児をすれば、当然母親からすると「危ない育児」に見えることも増えていく。結果として、「安心して任せられない」と感じてしまい、「何をやっても怒られる」という状況を生んでいるのではないだろうか。

無論、父親自身が頑張る必要はあるかもしれない。母親が寛容になるべきという意見もあるかもしれない。しかし、幼子の育児に必死な母親にも、初めての経験で戸惑う父親にも、個々の努力でこれを解決しろというのは難しい話ではないだろうか。

この状況は、「男性を育児から排除し続けた数十年」のツケなのだ。男性に育児をさせてこなかった上に、義務教育で知識も教えていない。それで育児をやれというほうが、無理な話だ。「父親が不勉強」「分かっていない」と断じる前に、その父親自身が置かれている環境に、ぜひ目を向けてほしい。

「むしろいないほうがいい」という母親の声

父親が「どうやったらいいか分からない」と嘆く中、多くの母親から聞かれたのは、悲しくも「むしろいないほうがいい」という声だった。母親のヒアリングも多岐にわたり、夫を教育し“父親”にした母親、諦めた母親、離婚して一人で育てる道を選んだ母親もいれば、育児の主体が父親で、母親のほうが仕事のウェイトが大きい夫婦もいた。それぞれに異なる問題や意見があったが、共通して存在した問題がいくつかある。

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その中でも、関係性が悪化しているカップルの母親から多く聞かれたのが、「いないほうがいい」という声だった。決して簡単ではない育児において、「少しでもいればいい」ではなく、「いないほうがマシ」になってしまう心理は何なのだろうか。その理由が、「いるだけ手間が増える」というむしろ逆の声だった。

「たまに日曜とかで料理するよ、と張り切って料理したり、子育てをやろうとするのはいいんですが、結局その前後で色々な家事が増えるんです。やり方も違うから後処理大変だし、それで『家事育児やった』と満足感出されてもねぇ……」

これは決して「ダメな父親」だけに対する感想ではない。多くの父親が最初、「自分にできることはなんだろうか」と、休みの日に見えやすい家事である料理などを頑張ったり、子どもと遊んだり、触れる時間を作ろうとする。育児のすべては「子どもと向き合う」ことから始まるのであるから、このような行為は素晴らしいことだ。しかし、その結果として、母親からは「手間が増えた」と思われてしまっているかもしれない。