リベラルな価値への擁護が反動を生む皮肉

「今は右翼の暴徒たちが優勢です。彼らは、ユーチューブやSNSにおいても大きな成功を収めています。そして、リベラルな価値への擁護がますます反動的な結果を生んでしまうのです。しかし、リベラルは文化政治や文化戦争を行なうことを選び、事実上政治を放棄しています。この戦略は実は間違っています。国家をコントロールしなければならないのです。文化の要素をコントロールすることよりも、政治的な力を持つことのほうが重要なのです」(ジョセフ・ヒース)

丸山俊一、NHK「世界サブカルチャー史」制作班『アメリカ 流転の1950-2010s 映画から読む超大国の欲望』(祥伝社)

「古めかしいマルクス主義の議論のようですが、私は、本当の敵は資本主義だと思っています。すべてが資本主義的に決められてしまうからです。そのお金が何のために使われるか、そのお金がなぜ必要かは問題にされません。ビジネスの考え方は、以前成功した路線を踏襲するということだと思います。新しいスポットを掘り起こすこともなく、未来への投資もしません。非常に簡素化した考えだと思いますが、それがハリウッドを支配しているのです。そして、人々が最もお金を使うのは気分が良い時、あるいは怒っている時です。情報はそのための広告となってしまったのです。私は、たとえ混乱が生じたとしても、より多くの選択肢がある状態を望みます。リスクを引き受け未来に投資しなければならないのです」(ジョナサン・ローゼンバウム)

分断が生み出した新しい文化

「カルチャーは多くの人にとって、生きる理由です。そして、生きることは素晴らしいのです。音楽や映画やアートや絵、それら全てがなければ、何のために生きているのでしょう? それがなければ、私たちは動物です。動物でもいいと言うならそれまでですが。楽観主義に聞こえるかもしれませんが、人種間の分断や他の種類の分断があるこの時代に、人々が聴く音楽や人々が見る映画、テレビ番組などのあらゆる私たちの文化は、素晴らしく多民族的、多人種的になっていると思うのです。これは事実です。最近の10年間には、言うなれば文化創造と文化消費の融合が見られたのだと思います。これは非常に希望が持てることだと思います」(カート・アンダーセン)

戦後、自由と民主主義の名のもとに、あるべき国の形を夢見てきたアメリカ。その長い旅路の果てに待っていたのは、人の数だけある自由の定義と、相互不信が巻き起こす分断だったのか? 迷走する「偉大なる」実験国家。だが、そこには、常に新しい何かを求め続けるエネルギーが潜んでいる。果たして、その行方はこの先どこへ向かうのだろうか?

2020年代のサブカルチャーはどうなるのか。想像力の旅は終わらない。

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