創業当時は、通信回線がまだ貧弱で、動画の視聴環境は決して快適とは言えなかった。このため、先進的な取り組みだったにもかかわらず、ビジネス面では苦戦が続いた。
09年には、USENの手を離れてヤフーの子会社となり、川邊健太郎氏がトップに就き、11年度にようやく単年度黒字を達成した。現在の社名GYAOに変わったのは、大幅増資でテコ入れを図った14年だ。
なぜGYAO!は淘汰されることになったのか
それから10年。動画ビジネス市場は、大きく変容した。
GYAO!の媒体資料によると、22年4月の月間訪問者数は1280万UB、22年3月の月間再生回数は3億2000万ST(ストリーム数)を数え、有力な動画配信サービスとなっている。
最新の会員数(有料・無料いずれも)を公表していないが、日経新聞の報道によると、データ分析会社・ヴァリューズ(東京・港)の調査では、GYAO!の利用者数は382万人(22年12月、17年12月比で2.5倍)で、412万人(6.3倍)のネットフリックス、997万人(3倍)のアマゾンプライムビデオに大きく離されている。
そんなGYAO!のウリは、民放各局の「見逃し配信」だったのだが、民放各局が15年に自前の番組プラットフォームTVerを立ち上げ、ネット配信に注力するようになって、優位性が崩れてしまった。
さらに、16年には、サイバーエージェントやテレビ朝日が運営するネットテレビ「ABEMA」が開局。22年になると、サッカーワールドカップの全試合を無料配信するという強力な独自コンテンツを送り出し、一挙に存在感を高めた。
オリジナルのコンテンツを次々に供給する“黒船組”の壁は厚く、進境著しい新興の国内勢から追い立てられて、独自色を出せないGYAO!の生き残りはますます厳しくなっていた。
パソコンサービスの成功に安住してスマホへの対応が遅れた親会社のヤフーに引きずられて、スマホへの取り組みが遅れたのも響いたようだ。
「コンテンツが同じプラットフォームは2つもいらない」
そんなZHDが、GYAO!の終了を明らかにした直後の1月末、積年のライバルだったTVerと包括的な業務提携で基本合意したと発表した。
広告分析ソリューションの共同開発、販促における共同広告商品の開発、ZHDグループとTVerのサービスの複合企画の実施など、今後、具体策を検討していくという。
都内で開かれたイベントで、ヤフーの小澤隆生社長は「同じコンテンツを提供するプラットフォームは2つもいらない」と、GYAO!撤退に至る心境を語った。
民放の番組は、民放が運営するTVerで配信するのが本筋で、民放から預かった借り物のコンテンツを提供するGYAO!のビジネスモデルが早晩行き詰まるのは明らかだった。