医師の診断は「好奇心が強いだけ」

1976年、八王子で生まれた青木さんが最初に「病院に行ってください」と言われたのは、小学校3年生の時。教師が話すことに対して、なんでもかんでも「なんで?」と繰り返したため、教師が脳の障害を疑った。母親に連れられて病院で脳の検査を受けたところ、異常なし。医師の診断は「好奇心が強いだけ」だった。

筆者撮影
幼少期を振り返る青木さん。

なんで? と問い詰めても大人は面倒くさがってまともに答えてくれないことを悟った青木さんは、「こんなことをしたら、どうなるんだろう?」と興味の赴くまま、いたずらに精を出した。今なら炎上必至のこともしたそうだ。しかし、そこからグレて不良になるという道には進まなかった。

「中学に上がった時、国際ジャーナリスト、落合信彦さんの本をたまたま読んでから夢中になって。オイルマネーとかケネディ暗殺の話を読んで、こんな男の世界があるんだ、世界はすごいと思ったんですよ。そうしたら、不良のやっていることがすごくちっぽけに感じたんですよね」

落合信彦に憧れたことで、興味が世界に広がった。高校に入ると、「なんで?」の視点が社会にも向かい、当時24時間営業だった地元のデニーズに友人を集め、「自殺」や「死刑」について議論した。知識豊富な友人がいると悔しくもあり、勉強への意欲も高まったと振り返る。

写真提供=青木さん
展示されているめだか盆栽。

脳神経と脳血管が癒着する難病にかかる

青木さんの祖父は会計士、父は税理士で、大学進学を考える時、父親から「税理士か会計士になりなさい。そのために経営学部、経済学部、商学部のどれかにしなさい」と言われた。祖父と父親がどんな仕事をしているのか理解していたから、特に反発することもなく、一番面白そうだと思った経営学部に進んだ。

その頃はまだ「世界を股にかけて活躍したい」という想いがあり、大学2年生の頃、アメリカ東海岸にある大学に留学した。その時にひとつの大切な気付きを得て、1年で切り上げて帰国する。

「結局、アメリカにいても八王子の友達のことばっかり考えていたんですよ。今思えば、地元の仲間に青木すげえなって言われるのが好きだったから留学もしたし、いつも意識が八王子に向いてる。そこに気づいたら、俺、世界で働く必要性ある? と疑問に思ったんですよね。だから僕、人生でその1年間だけアメリカにいて、それ以外はずっと八王子にいるんです」

地元愛に目覚めた青木さんは、大学院に進んで勉強しながら、これまで通り仲間たちと楽しくやっていこうと考えていた。ところが、帰国して間もなく頭痛と耳鳴りに悩まされるようになり、大学院入試の前に倒れてしまう。

筆者撮影
取材をした「めだかやドットコムミュージアム」に飾られているめだか盆栽。