「神とサタンとの対決」旧統一教会の独自の思想

だが、重要なのは、これを旧統一教会の側がどのように解釈してきたかである。そこには、旧統一教会に独自の思想がかかわっている。それは、教団の外側にいる一般の人間には見えないものである。

旧統一教会の元信者で、その後はジャーナリストとして活動する多田文明は、文の訪問が実現されるまで教団の内部において北朝鮮は「サタンの国」と位置づけられていたとする。ところが、教団には「恩讐を愛する」という教えがあり、文が北朝鮮を訪れ、金主席と会談したのは、サタンがメシアの愛に屈服したことを意味し、文は「さすがメシアだ」と信者から賞賛された。この出来事をきっかけに、文が南北統一を実現するのではないかとさえ考えられたという(「文春オンライン」2022年9月15日配信)。

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「共産主義はサタン」政治思想と教義の結びつき

旧統一教会の聖典が「原理講論」であり、そこに記された教えは統一原理と呼ばれる。それによれば、世界に起こる出来事は、神の側とサタンの側の対立によるものとしてとらえられている。共産主義はサタンの側になるわけで、反共という政治思想と教義とが密接に結びついている。

神とサタンの対立が世界を動かしている。実はこれは、消滅してしまったマニ教に見られる考え方で、さらにそれは同じくペルシアに生まれたゾロアスター教にまで遡る。キリスト教の教義の形成に決定的な影響を与えた古代の教父、アウグスティヌスは、キリスト教に改宗する前、マニ教の信者で、彼の神学のもっとも重要なテーマは〈マニ教に見られる善悪二元論をいかに克服するか〉にあった。

ところが、キリスト教の歴史においては、くり返し善悪二元論の思想が出現した。というのも、この世に起こる悪を説明するには、善悪二元論の方が説明がしやすいからである。善悪二元論を否定すると、なぜ絶対の善である神が創造した世界に悪が存在するのかという難問を解かなければならない。