「銃規制よりもメンタルヘルス」
記者会見は再開され、アボット知事側近のパトリック副知事が冒頭発言を行った。彼も遺族へのお悔やみ、州民への団結の呼びかけに続いて、「地域社会を一つにするのは神です。地域社会を癒やして下さるのは神です。ずたずたになった心を癒やして下さるのは神です。私たちに知恵を与えて下さい」と、宗教的な言葉で発言をしめくくった。
一連の登壇者の冒頭発言が終わった。アボット知事が「ここからは質問を受けます」と発言し、記者との質疑応答が始まった。最初の質問は当然、銃規制強化の必要性について見解を問うものだった。これに対してアボット知事はこう答えた。
「テキサス州では、18歳から銃を購入できるようになってから60年以上が経ったが、60年間、今回のような出来事は起きなかった」
銃が容易に購入できるテキサス州の制度に問題はないという認識を示したのだ。さらにアボット知事の説明は続く。
「今後、州として強化すべきなのはメンタルヘルスへの対応だ。銃で人を撃つ人間はメンタルヘルスの問題を抱えているからだ」
州知事ですら医科学と宗教的思想を混同している
再発防止に必要なのは、事件を起こす可能性がある人物のメンタルヘルス対策であり、銃規制強化は必要ないというのが知事の考えなのだ。
別の記者は、「子どもたちを銃撃した人物には悪が宿っていた」という知事の宗教的な発言と、メンタルヘルス対策という科学に基づく政策の整合性を質した。「非科学主義信仰」について筆者と同じ問題意識を持っている地元の記者がいた。自分が進めている取材の方向性は間違っていないと確信を持てた。これに対してアボット知事はこう回答した。
「とても興味深い質問だ。頭がおかしくなって子どもを殺すのは、まさにメンタルヘルスの問題だ。そして、それは明らかに悪の顔そのものだ。我々が考えているのは、容疑者には以前からメンタルヘルスの問題があったはずで、それに対応すべきだったということだ。しかし、メンタルヘルスの問題と悪の間に違いはあるのか」
メンタルヘルスという医科学の概念と宗教的思想における悪という概念。これらがアボット知事の頭の中では混在しているようだ。アボット知事はこれだけ痛ましい事件が起きても、2日後には銃規制反対のNRAの年次総会に平然とした顔で出席しようとしている(結果的には、このあと、今回の乱射事件への警察の対応に批判が出たことを受けて、記者会見を開くことになり、NRA年次総会にはビデオメッセージを寄せた)。
揺らぐことのない知事の姿勢に、政治理念や信念を超えたカルトの狂気すら感じた。彼らの頭の中では、非科学主義信仰は子どもたちの命をも凌駕しているのだ。