性犯罪はなくならない

「今週は問題行動を起こしませんでした、今週も特に問題はありませんでしたと続いても、次の週には気がついたら満員電車に乗っていたというようなことはある。そうしたら、何で満員電車に乗ったんやとなる。前の晩に眠れなくて、朝起きたときからもう苛々して……、じゃあ何で苛々した。仕事でちょっとうまくいかないことがあって、というようになれば、苛々せんようにするにはどうすればいいか、苛々している自分に気づいたらどう対処すれば苛々が治まるか。簡単に言えばこうやって”きっかけ”を探っていくんやけど――」

どこまでさかのぼれば自分をコントロールできるところまでを探るだけで、ゆうに1年や2年を費やすこともある。苛々がまだ小さく、欲望が起こる初期の段階で自分を抑えられるようになればいいが、欲望が大きく育ってから自分を抑えようとしてももう遅いのだそうだ。性嗜好障害は、性的な衝動に駆られたら、その衝動を抑えることができないのである。服役などの空白期間が長ければ、きっかけにたどり着くまでの道のりも長くなる。だから容易ではない。

「残念ながらな、性犯罪はなくならん。痴漢、覗き、強姦なんてのは、むかしっから一定比率であった。ということは、性犯罪も、性犯罪者も、この世から排除することはできんということなんよ」

それは、これまでも、そしてこれからも、性被害で苦しむ人がいなくならないということだ。

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厳罰化が必要ではないか

私見を述べさせてもらうなら、性犯罪に関しては、さらなる厳罰化を求めてもいいと私は思っている。強制性交だ準強制性交だと呼び名を変えたところで実態は強姦という卑劣な犯罪であることに違いはない。男性も被害者になり得るとの理由から名称変更に踏み切ったらしいが、そんなおためごかしのような役所仕事に腐心するより、アメリカではワシントンD.C.をはじめ、ほとんどの州で性犯罪者へのGPS装着を義務化しているように、日本も同じような取り組みに着手するとか、刑期をさらに長くするなどの検討をすべきだろう。強制性交の有期懲役が5年以上からなんて軽すぎる。

正義感ぶるつもりはないが、性犯罪者を罵倒し、批難する言葉なら私は心の中の抽斗ひきだしにいくつもしまってある。児童虐待や動物虐待、強制性交など、弱者をいたぶる者たちを私は単純に許せないのだ。だが、この取材を通して、私の中に違和感が湧き上がってきているのもまた事実だ。