ではなぜ「サイゼ」はこれほど可燃性が高いのか?
とはいえ、うかつに「不味い」と語った時に巻き起こる怒りの規模では、サイゼリヤが他の飲食店と比べて群を抜いていることは間違いない。
サイゼリヤは、たとえば大手ファストフード店や牛丼チェーンなどと比較しても、圧倒的に「炎上」の可燃性が高い。さながらインターネットの火薬庫である。なぜなのだろうか?
安くて美味しい食べ物をすぐに提供してくれて、お酒もリーズナブルにたくさん飲めて、しかもおひとり様にもやさしい。見知らぬ居酒屋に勇気を出して飛び込むよりも、大企業による完成されたマニュアルとメニューによって接客や料理には一定のクオリティが担保され、満腹感と心地よい酔いを約束してくれる――そんな条件を考えたとき、サイゼリヤ以上にふさわしい店はおそらくほとんどない。
関東圏と近畿圏の人口が集中している都心部を主として展開していることもあり、都会で働く大勢の人びとにサイゼリヤはひろく支持を集めている「小さな神様」なのである。
多くの信徒を抱えている神さまだからこそ、冒涜されたときに生じる怒りの声も大きくなるのは当然だ。
しかしながら、私が10代のころを思いかえしてみると、最寄り駅にもサイゼリヤがあったのだが、その当時は「放課後に中高生のたむろする場所」というイメージがもっぱらだった(読者の皆さんもそのようなイメージを持っているかもしれない)。実際に店を見渡してもそのほとんどが10代の若者だった記憶がある。
ところが近年では、ずいぶんと年齢層の高い利用客に好まれるようになっている。SNSで「サイゼをネガティブに評した人」が激しい非難を集めて炎上しているときに観察してみても、怒っている人は主として30代~40代の人が多い。それこそ、10年20年前にサイゼリヤに好んで通っていた若者たちが、そのまま大人になっていったかのように。
――これはある意味で日本社会の「停滞」のリアルを象徴しているだろう。
30代40代になったからといって、「年齢相応な大人の雰囲気のある店」で食事や酒を楽しもうとしたら、当然ながらそれなりにお金がかかってしまう。いま日本では、働き盛りの30代であっても平均年収は400万円程度であり、かれらが「大人」な店でサイゼリヤくらいにお腹いっぱいになって気持ちよく酔おうとしたら、とてもではないが手持ちが足りなくなってしまう。
私たちが想像している以上にこの国の貧しさは加速している。このような社会経済状況を背景として、誇張でなくサイゼリヤはいまや「中高生の青春時代の思い出の店」ではなく「大人が安心して飲み食いできる定番の場所」になっているのである。