ハウスホーファーの地政学――ヒトラーに語った「生存圏」の概念
1931年の満州事変以降、米英との関係が決裂状態に陥り、日本は国際連盟を脱退して孤立化した。その後の1933年に起こったのが、ナチス党のドイツにおける権力掌握であった。
ヒトラーは「生存圏(Lebensraum)」の概念を主張して、ドイツ民族の統一を旗印に拡張政策に向けた軍事力の増強を図り始める。日本の憲法学者らの間にも熱烈な愛好者がいる、この時代のドイツの法学者カール・シュミットは、「広域(Großraum)」の概念を用いたことでも有名だが、一時期ナチスの幹部と親交が深かった。
さらに、当時ミュンヘン大学地理学教授であったカール・ハウスホーファーは、後にナチスの幹部となるルドルフ・ヘスを教え子としていた人物であり、やはり一時期ヒトラーとも交流があった。1920年代から「生存圏」の概念を提唱して、それをヒトラーに語って聞かせたのは、ハウスホーファー自身であった。
ナチスが政権を奪取した後、影響力を強めたハウスホーファーは、熱心にドイツと日本の政治的連携の重要性を吹聴する活動を始めた。
これに日本で反応したのが、英米との連携に代わる外交政策の方向性を模索していた軍部の指導者らの勢力であった。この動きは、1936年の日独防共協定や1940年の日独伊三国同盟へと結実し、大日本帝国の外交政策の方向性の大転換をもたらした。
ロシア・ウクライナ戦争と地政学
ハウスホーファーの理論は、マッキンダー理論の対極をなし、大陸的な地政学理論の伝統を代表する。ハウスホーファーは、世界を4つの勢力圏に分け、それぞれの勢力圏に覇権国が存在するような世界観を持っていた。大陸内奥部ではソ連、ヨーロッパではドイツが覇権を持ち、ユーラシア大陸の東側では日本が君臨するのだった。言うまでもなく、アメリカは西半球世界の覇権国である。
今日、2022年のロシアのウクライナ侵攻の背景に、アレクサンドル・ドゥーギンの地政学理論に象徴される「ユーラシア主義」の思想があるともいわれている。プーチンあるいはドゥーギンは、いわばハウスホーファーが言う「生存圏」または「勢力圏」の存在を自明視し、それを無視して普遍的な原則を課す国際秩序に挑戦する。
それぞれの「勢力圏」の覇者が、お互いのそれぞれの「勢力圏」を認め合うことによって国際社会の安定は図られる、という世界観に沿って考えると、「主権平等」や「民族自決」などの国連憲章上の原則は、徹底的に相対化されていくことになる。
こうした観点から見ると、ロシア・ウクライナ戦争は、英米的な地政学理論と、大陸的な地政学理論のせめぎ合いの発露としての性格も持っているわけである。