父親の死
6月30日の夕方。再度母親から電話がかかってきた。石黒さんは仕事に出ていたため、妻が電話に出る。母親は、激しく動揺しており、泣いていた。
「助けてくれ! かわいそうでかわいそうで……。何とか助けてやってくれ!」
妻は、ただごとではない状況だと察知し、先日夫婦で相談してあった地域包括支援センターに電話。状況を伝え、緊急で医師に訪問してもらうことに。
訪問した医師によると、父親は、1カ月ほど排尿がしにくい状態が続いていたと判明。尿路を確保するためのバルーンを装着し、強制的に排尿する処置を施してもらい、しばらく様子を見ることになった。
ところが翌日、尿に血液が混じり出したため、急を要すると判断した医師が半ば強引に父親を説得し、緊急入院に。その2日後の7月3日。父親は帰らぬ人となった。81歳だった。
「どうして、家族にしかできない、命を救うための強引な対応ができなかったのか……。無口な父に寄り添う努力を続けた結果、父の言うことを強く否定してまで、強引に父を助けることができませんでした……」
忌引きで仕事を休んだ石黒さんは、父親の葬儀の準備などで、実家で1週間ほど母親と過ごすことに。
その1週間で、87歳の母親の衰えや認知症の進み具合を目の当たりにし、これから始まる母親の一人暮らしのフォローや介護の必要性をひしひしと感じた。現役で働く40代の石黒さんは、今後どのようにして母親と向き合っていくのだろうか。(以下、後編へ)