「何かに忙殺される人間には何事も立派に遂行できない」

セネカの著書は、岩波書店から全6巻の『セネカ哲学全集』(倫理論集、自然論集、倫理書簡集)が出ていて、うち倫理論集の主なものを順に並べると、『摂理について』『賢者の恒心について』『怒りについて』『幸福な生について』『閑暇について』『心の平静について』『生の短さについて』『寛恕について』『恩恵について』となる。

『生の短さについて』(大西英文訳『生の短さについて他二篇』、岩波文庫、2010年)は、50歳のセネカが、当時の食糧長官パウリーヌスに向けて忠言を与えたもの。いくつか抜き書きすると、こうだ。

われわれのける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのであり、われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽とうじんする、それが真相なのだ。

多くの人間がこう語るのを耳にするであろう、「五十歳になったあとは閑居かんきょし、六十歳になったらおおやけの務めに別れを告げるつもりだ」と。だが、いったい、その年齢より長生きすることを請け合ってくれるいかなる保証を得たというのであろう。(中略)生を終えねばならないときに至って生を始めようとは、何と遅蒔おそまきなこと。

自分は「半ば自由、半ば囚われの身」とキケローは言った。しかし、言うまでもなく、賢者なら、これほど卑屈な名でみずからを形容するようなことはしない。

何かに忙殺される人間には何事も立派に遂行できないという事実は、誰しも認めるところなのである。雄弁しかり、自由人にふさわしい諸学芸もまたしかり。諸々もろもろの事柄に関心を奪われて散漫になった精神は、何事も心の深くには受け入れられず、いわばむりやり口に押し込まれた食べ物のように吐き戻してしまうからである。