仕事をバックレて生まれた傑作
仕事の重圧感は魂に快い――。そう言ってストレスすらも楽しもうとしたゲーテだったが、もはや限界が近づいていた。
政治の世界から離れて、学問と芸術に打ち込みたいという気持ちも膨らんでくる。知人への手紙で心情をこう吐露した。
「翼はあるのに使えない、そんな気分だ」
ついにゲーテは政務を投げ出して、イタリアへ逃亡する。
滞在は2年にわたり、学術・芸術部門での指導にあたった。
イタリアでの経験をゲーテは『イタリア紀行』としてまとめている。これが名著と評判になりゲーテの代表作となるのだから人生はわからないものだ。
リセットすることで拓ける道もある。
ダーウィンが悩んだ「結婚すべきか否か」
人生において自由な時間に好きなことをするのは大切だ。とりわけ自由奔放なダーウィンにとってはそうだった。
開業医の父は跡を継がせるべく医学部に進学させるが、本人がやる気にならずに教育方針を転換。神父にさせようとケンブリッジ大学の神学部に入学させる。だが、その試みも無駄に終わる。ダーウィンは講義をサボって、動植物の採取に夢中になるばかりだった。落第生そのものである。
転機になったのは、22歳のときに参加したビーグル号での世界一周旅行だ。約5年の航海を終えると、父への手紙にこう書いている。
「私は、自然科学にわずかなりとも貢献したい。それ以上によい生涯を送ることはできないと考えます」
自分の進むべき方向が見えてきたダーウィン。だが、もう一つ、決めなければならないことがあった。それは「結婚するのかしないのか」ということ。
ダーウィンの頭には幼なじみのエマが浮かんでいた。将来を考える相手として気心のしれたエマは申し分なかったが、結婚自体への抵抗感があった。
ダーウィンは「これが問題だ」というタイトルで結婚の損得対照表を作成。「結婚しない」のメリットとして、次のように書いている。
「行きたいところに行ける自由、親類を訪問しないですむ、子どものための心配がいらない」
どうもダーウィンは結婚によって、自由な時間を奪われるのを恐れたようだ。
一方の「結婚する」の欄では、その思いが顕著に表現されている。
「子ども、一生の伴侶(老いたときの友人)、家事を担う誰か、こうしたことは健康によい、しかし恐るべき時間の損失」
比較検討の結果、ダーウィンは次のような結論を導き出した。
「全生涯を働きバチのように、仕事、仕事で、ほかになにもしないと考えることは耐えられない。結婚、結婚、結婚。証明終わり」