人命尊重のアプローチとはいえ、ゼロコロナはかえって市民を危険にさらしている。都市部のマンションは封鎖され、住民が食べ物すら満足に確保できない事態が起きている。
アトランティック誌は、厳格な通報体制も市民を苦しめる一因になっていると指摘する。北京の薬局で解熱鎮痛薬のイブプロフェンを買えば、直ちに保健当局に通報され、コロナ検査を求められるシステムになっているという。
同誌はこうした極端な政策は、独裁政治の産物だと指摘している。
中国では80年代以来、委員会ごとに権力を分散させたバランスのよいアプローチが採られてきた。だが、習近平はその手に権力を集中させることを好み、国家の重大な決定と一国の未来が「ひとりの人間と彼の考え、野望、そして政治的打算」に翻弄されるようになったと記事は論じている。こうした独裁体制が「ゼロコロナなど、一貫性なく混乱を招く政策」の根源だとの指摘だ。
政治的野心を優先させる習近平の異様
ゼロコロナに固執する習近平は、政策の成果を追求するあまり、時流に応じた柔軟な対応を見失っているように思える。新型コロナウイルスによるパンデミックが仮に数カ月で終わるものだったとすれば、短期的な厳しいロックダウンで急場をしのぐ方策も有効だったかもしれない。
しかし、とくにオミクロン株の出現以降、状況は一変した。この株は強い感染力をもつ一方、病原性としては従来の変異株よりも弱いとされる。ロックダウンによるまん延防止効果は限定的となり、食料の入手や経済の回復を犠牲にした隔離措置がそのコストに見合っているのか、大いに疑わしい。
世界はすでに、コロナとの共存に舵を切っている。欧米ではマスク着用ルールが多くの場所ですでに撤廃され、日本国内でも着用の是非が改めて議論されている。生活を犠牲にしてまで予防措置を展開する中国の姿勢は、極めて異質だ。
中国政府はゼロコロナ政策による混乱に乗じ、戸籍制度の規制緩和という変化球を放った。だが、安全性を最優先に据えた政策は一定の評価を受けて然るべきだが、トップの頑なな方針が市民の命と生活をかえって犠牲にしているとなれば、その評価も覆されよう。
3期目を狙う習近平氏には、この失策が付きまとうことになる。