「都合のいい大義名分で 争いを仕掛けて」の歌詞の意味
2番のパンチラインは、この「♪都合のいい大義名分で 争いを仕掛けて」となる。この部分をどう解釈するか。
14年のNHK「紅白歌合戦」で歌われたとき、この部分が、同年の憲法「解釈」変更~集団的自衛権行使容認の閣議決定を揶揄しているものとして語られた。
しかし「ピースとハイライト」の発売は13年の8月なので、この推測は的外れである。むしろ、11年に世界を驚かせた、ある「大義名分」の瓦解を歌っていると「解釈」すべきではないか。
「イラクが大量破壊兵器を隠し持っている」と「解釈」し、「だからイラクに侵攻しなければならない」という「大義名分」を振りかざしたことを歌っているという「解釈」が、時期的にも成立すると思うし、かつ、02年に「♪いつもドンパチやる前に 聖書に手を置く大統領がいる」(「どん底のブルース」)と歌った桑田佳祐の作品としては、自然ではないかと思うのだ。
「反日」という指摘こそが「都合のいい大義名分」ではないか
もちろん、そのような固有の事象ではなく、例えば、ベトナム戦争のきっかけとなったトンキン湾事件(64年)や、満州事変の発端となった柳条湖事件(31年)のように、(後に歌われる)「20世紀」に起きた様々な「争いを仕掛け」る「大義名分」となった、いくつかの捏造事件のことを指しているのかもしれない。
何度も書いているように、14年のNHK「紅白歌合戦」でこの曲が歌われ、この曲のメッセージや演出が「反日」だと騒がれ、炎上事件が起きた。しかし、それこそがまさに「都合のいい大義名分で 争いを仕掛けて」ではなかったか。この歌詞は、もう少し、広くて深いところを見据えていると思う。
前述の『週刊金曜日』におけるロフトプロジェクト代表・平野悠によるコラムより。
基本、同意する。同意するものの、それでも、このコラムからの7年間、「サザンの40年間の偉大な歴史」は揺らがなかったと思うし、今後も決して揺らぐことがないよう、今一度ここで、「ピースとハイライト」について書いているつもりである。