「都合のいい大義名分で 争いを仕掛けて」の歌詞の意味

2番のパンチラインは、この「♪都合のいい大義名分かいしゃくで 争いを仕掛けて」となる。この部分をどう解釈するか。

14年のNHK「紅白歌合戦」で歌われたとき、この部分が、同年の憲法「解釈」変更~集団的自衛権行使容認の閣議決定を揶揄しているものとして語られた。

政府は1日夕の臨時閣議で、集団的自衛権を使えるようにするため、憲法解釈の変更を決定した。行使を禁じてきた立場を転換し、関連法案成立後は日本が攻撃されていなくても国民に明白な危険があるときなどは、自衛隊が他国と一緒に反撃できるようになる。「専守防衛」の基本理念のもとで自衛隊の海外活動を制限してきた戦後の安全保障政策は転換点を迎えた。(『日本経済新聞』14年7月2日付朝刊

しかし「ピースとハイライト」の発売は13年の8月なので、この推測は的外れである。むしろ、11年に世界を驚かせた、ある「大義名分」の瓦解がかいを歌っていると「解釈」すべきではないか。

イラク駐留米軍が2011年12月完全撤退し、03年3月に始まったイラク戦争は約8年9カ月で終結した。イラク戦争は、フセイン政権が大量破壊兵器を保有し国際テロ組織アルカイダを支援していると主張するブッシュ前政権がイギリスとともに開戦に踏み切った。アメリカとイギリスを中心とする派遣軍がイラクに侵攻してフセイン政権を打倒したが、大量破壊兵器は見つからず、フセイン政権とアルカイダは無関係だったことが判明した。(『imidas』12年3月

「イラクが大量破壊兵器を隠し持っている」と「解釈」し、「だからイラクに侵攻しなければならない」という「大義名分」を振りかざしたことを歌っているという「解釈」が、時期的にも成立すると思うし、かつ、02年に「♪いつもドンパチやる前に 聖書に手を置く大統領ひとがいる」(「どん底のブルース」)と歌った桑田佳祐の作品としては、自然ではないかと思うのだ。

「反日」という指摘こそが「都合のいい大義名分」ではないか

もちろん、そのような固有の事象ではなく、例えば、ベトナム戦争のきっかけとなったトンキン湾事件(64年)や、満州事変の発端となった柳条湖事件(31年)のように、(後に歌われる)「20世紀」に起きた様々な「争いを仕掛け」る「大義名分」となった、いくつかの捏造ねつぞう事件のことを指しているのかもしれない。

何度も書いているように、14年のNHK「紅白歌合戦」でこの曲が歌われ、この曲のメッセージや演出が「反日」だと騒がれ、炎上事件が起きた。しかし、それこそがまさに「都合のいい大義名分かいしゃくで 争いを仕掛けて」ではなかったか。この歌詞は、もう少し、広くて深いところを見据えていると思う。

前述の『週刊金曜日』におけるロフトプロジェクト代表・平野悠によるコラムより。

この原稿を書き終わった瞬間に残念な事態になった。年越しライブや紅白歌合戦での演出について事務所アミューズと桑田佳祐が1月15日、謝罪する事態に追い込まれたのだ。「表現方法に充分な配慮が足りず、ジョークを織り込み、紫綬褒章の取り扱いにも不備があった」と平謝りだ。これは異例だ。「謝るなら最初からやるな」というのが私の最初の感想だ。しかしサザンの40年間の偉大な歴史はそんな事で揺らいで欲しくないと痛切に思ったりもする。

基本、同意する。同意するものの、それでも、このコラムからの7年間、「サザンの40年間の偉大な歴史」は揺らがなかったと思うし、今後も決して揺らぐことがないよう、今一度ここで、「ピースとハイライト」について書いているつもりである。