観客側も「いつまでも女優臭くないように」

女優は、主婦のように家を守る女性とは考えられておらず、社会の規範から逸脱する過剰さをしばしば含んでいたのである。だが、家庭向けを強調する宝塚は、こうした女優のイメージが少女たちに差し向けられることをなんとしても回避する必要があった。

そこで、宝塚の生徒たちは女学生のような良家の出身であり、セックス・アピールを伴わないというイメージを前面に打ち出した。そして小林一三は、退団後の少女たちにも、芸道に生きることを否定しないまでも、基本的には芸術的素養のある家庭の妻となり、母となることを期待した。

観客も、「彼女達は或る人の云ふ如く女優ではありません女生徒であるのです」と受け止めていた(南雛作「彼女達の将来に就て」『歌劇』1919年4月)。生徒に少しでも女優の雰囲気を感じ取ったなら、「篠原サンや高砂サンが将校マントを得意気に着て居られるのは何だか女優臭くつて厭です」と難癖を付け、「是非皆サンは何日迄も何日迄も女優臭くない様にお願します」と念を押すことになったのである(弓子「高声低声」『歌劇』1919年1月)。

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求められていたのは「清く正しく美しく」ではなく…

宝塚歌劇団の有名な標語に、「清く正しく美しく」がある。これは、独身の女性だけを演技者とする宝塚のコンセプトを表現したものとしてしばしば理解されている。だが、1910年代から1920年代にかけての宝塚少女歌劇をめぐる記事や批評のなかに、このフレーズはまず見当たらない。というのも、この標語が成立するのは、1933(昭和8)年ころのことだからだ(川崎賢子『宝塚』岩波現代文庫、112頁〜115頁)。

周東美材『「未熟さ」の系譜 宝塚からジャニーズまで』(新潮選書)

ある観客は初期の宝塚少女歌劇の持ち味を表現したフレーズとして「宝塚 無邪気な足を 高くあげ」との川柳を紹介している(船頭子「高声低声」『歌劇』1921年7月)。このように、初期の宝塚少女歌劇とその生徒を形容するキーワードとして頻繁に用いられたのは、「無垢」、「無邪気」、「可愛い」、「あどけない」、「素人」、「幼稚」、「子どもらしい」、「家庭本位」、そして「未熟」といった語であった。これらが、「宝塚情緒」や「宝塚型」を形作る要素でもあった。

たとえば、著名な音楽学者である田邊尚雄は、「雲井浪子を始めとして錚々たる立役者でも、実に清浄無垢高潔なる処女として尊敬すべきものである。東京の女優に通じて見る如き虚栄心なく、頽廃的気分なく、三十余名の学生は実に温かき一家の家庭である」とし、「清浄無垢」であることが宝塚独自の魅力だと評していた(田邊尚雄「日本歌劇の曙光」『歌劇』1918年8月)。

このようにして和洋折衷の無邪気なお伽歌劇は、未成品ながらも、西洋直輸入のグランド・オペラやほかの劇団とは異なるものと見なされて、「宝塚情緒」や「宝塚型」という独自の魅力が見出されることになったのである。

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