ダンナの世話をしながら選挙戦を戦えるか

参考までに例示するが、男女候補者均等法が成立した後の初めての国政選挙であった第25回参議院通常選挙では、各政党の女性候補者に対する姿勢が鮮明になった。自民党は男女合わせて82人の候補者を擁立したが、男性70人、女性12人であった。立憲民主党は男性23人、女性19人、共産党は男性18人、女性19人であった。女性候補者の比率は自民党15%、立憲が45%、共産党は55%である。

自民党は明らかに「均等」の理念に背を向けた候補者擁立であるが、自民党選対本部関係者は「均等に候補者を立てるのはまず無理」と、最初からこの均等法には否定的であった。理由は明快で「ダンナの世話をしながら選挙戦を戦える女性がどの程度いるか?」「選挙は自己責任、つまり選挙資金と一定の支持者がいないと難しい」という。この発言は「イエ中心主義」の政治指向そのものである。

写真=時事通信フォト
「政治分野における男女共同参画推進法」が参院本会議で可決、成立し、一礼する野田聖子総務相(当時)=2018年5月16日、国会内

法律をどう運用するかは「政党の意識」次第

「ダンナの世話をする女性に……」は「女はイエに居てダンナの世話をする」妻であり、母であることを前提にした認識であるし、また「選挙資金や一定の支持者を持っていないと」との発言には、女性が常に男性を通じて社会と繫がることを前提にしている男性稼得モデルを想起させる。「お父さん稼ぐ人、お母さんイエに居る人」モデルである。ここでも女性に対する認識は「個人」に向けられたものではなく、「イエの構成員」もしくは「イエに従属する人」である。

このように、苦労を重ねて法施行に漕ぎつけた「政治分野における男女共同参画推進法」ではあるが、結果この法律(制度)をどう活用するかは、活用する側(政党)の「意識」に托されているのである。つまり、女性に対しての認識がどのようなものであるか、によって、制度運用は決定されることを重ねて強調しておきたい。