順番が来る前に死んでしまうのではないか

現在16歳の娘がまだ1歳を超えたばかりの2007年、高熱が続いたことがあった。近所の小児科を何度も受診したが、「風邪」という診立てで、医師は娘の胸に聴診器をあてても「異常はない」と言う。しかし数日経った時、だんだん衰弱していく娘を見て、これはおかしいと思った。タクシーで東京都内の救命救急医療センターに向かった。

日中だったが、外来は具合の悪そうな人で埋め尽くされ、椅子に座ることもできない。受付からは「2時間待ち」と言われた。今では多くの病院で行われているトリアージがなく、“とりあえず診てもらう”こともできない。診察を待っている間、娘は呼びかけにも徐々に反応しなくなり、やがて私の腕の中でぐったりとしていった。

娘を抱っこしたまま、受付の女性に「なんとか早く診てもらえないか」と必死に訴えた。

だがその女性は、「そうは言っても順番ですから……」と困惑気味に言う。このまま子どもが死んでしまうのではないかという恐怖感でいっぱいだった。

2時間後、ようやく娘の診察が行われ、その時のサチュレーションは83%。値を見た瞬間、医師と看護師が青ざめたのがわかった。結局そこの病院はベッドが満床だったため、すぐに救急車で別の病院に転院搬送された。転院先で、娘は細気管支炎という病を発症しており、すぐに人工呼吸器が必要な状態であること、脳に障害が残る可能性を指摘された。

「ベッドがある病院でしっかり診る」ことも正しいが…

それから12日間、集中治療室に入院となった。酸素テントに横たわる小さな身体を見つめながら、なぜもっと早く診てくれなかったのか、と私は涙を流し続けた。

あれから15年経った今、娘は幸いにも後遺症は残らず、普通の高校生活を送っている。

だが、いまだに「たらいまわし」という言葉を聞くと、心が反応してしまう。救急車にのるその患者は大丈夫だろうか、と心配になる。軽症か重症かは傍目はためにはわからない。だから医療を求める人が、まずは医師による「診断と初期治療」を受けられる環境を整備してほしいと願う。

それを着実に実行してきた湘南鎌倉総合病院の姿勢を私は支持する。

撮影=笹井恵里子
「絶対に救急を断らない病院」を感染第6波が襲った

同院救命救急センター長の山上浩は、怒鳴られた救急救命士に向かって言う。

「その先生は、ベッドがあるから患者を受け入れて、自分たちの病院でしっかり診ることが正しいと考えている。それは一つの正義で、否定できることではない。ただ一方で我々は、外来と病棟は分けて考え、病院のベッドがなくても、すべての患者さんを受け入れることが正しいと考えている。医師、看護師、救命士がいる病院の中で、できる限りの医療をやる。それが救急患者さんの行き場がなくなるより、いいことだと思っている」