「無礼でいい」ではなく「格式張らなくていい」
考えてもみてください。役職や立場の垣根を取り払ってみんなで楽しく飲もうという飲み会で、誰かが不愉快な気持ちになるような無礼な態度をとることが許されるでしょうか。
誰も「酒の席のことだから」などと許してはくれません。無礼講で無礼を働く、実は、これこそが本末転倒なのです。無礼講という言葉は、「無礼な講」ではなく「無な礼講」という意味なのだそうです。
日本古来のご神事では、神様に捧げたお酒を、身分の上の人から順に授かる「礼講」という儀式があったといいます。そして上下関係重視の格式張った「礼講」の後には、身分を気にしないでお酒を楽しむ“二次会”的な宴席の場が催されました。これが「礼講ではない宴会」という意味で無礼講になったのだとか(諸説あり)。
そもそも無礼講という言葉自体が、「無礼でいい」のではなく、「格式張らなくていい」という意味なのですね。お酒は楽しく飲むことが何にも勝る大前提。私のお店でも「無礼講」の雰囲気になることはありますが、勘違いした無礼な振る舞いは当然、御法度です(みなさまジェントルマンばかりなので、まずそんなことはないのですが)。
社会人としてのマナーを守って、その上で、肩ひじ張らない会話とほどよいお酒を楽しむ。それが真の飲みニケーションなのです。この世の中、無礼が許される場など存在しません。無礼講を勘違いして、ただの「無礼者」にならないように、くれぐれもお気をつけください。