「国民が革命を起こした」という荒唐無稽な見立て
途方に暮れた宮澤に、大きな示唆を与えたのは、東京大学法学部の同僚の丸山眞男であった。丸山は、「ポツダム宣言受諾の際に、国民が革命を起こしたのだ、と説明すればよい、そうすれば新しい内容を持った新しい憲法の制定も、革命を起こした国民が実力で行ったことだと説明できる」といったアイデアを披露した。これに宮澤は飛びついた。急ぎ新憲法案を擁護する論文を、丸山が提案した「八月革命」説のアイデアとともに、論壇雑誌から公刊した。
この「実はひそかに国民が革命を起こしていた」という極度に思弁的で荒唐無稽なアイデアは、驚くべきことに、大多数の憲法学者に受け入れられた。ドイツ国法学の理論を否定することなく、しかしなお新しい憲法を歓迎して生き残っていこうとしていた大多数の憲法学者たちにとって、宮澤の権威は、一つの免罪符だった。「憲法の内容を決めるのは憲法学者による人気投票である」といった多数説絶対主義の一方的な主張が、不都合な真実を覆い隠すイデオロギー装置として働いた。
こうして左派も、日本国の国際的責務を不当に無視する立場を、学会多数派説として強引に押し付けることによって、日本国憲法の国際協調主義を軽視していったのである。
(後編に続く)