子どもが生まれて初めて「死ねない」と思った
私はかなり早くにそれを認識しました。
上の子が生まれたとき私はブラジルのリオデジャネイロにいました。リオは治安の悪い街ですが、そこでパーティーに参加していました。そのとき思ったのです。生まれて初めて感じたことですが、リオから生きて帰らなければならないのは娘のためだと実感したのです。それで中座して帰りました。私が今生きている理由は他の誰かのためだと、ある意味さとったのです。
今死ぬわけにはいかない。
以前の自分にとってとは死の重さが変わりました。以前だって私は死んでいたかもしれない。パーティーの最中に死ぬ可能性があったし、実際に死んだとしてもまあいいや、楽しいパーティーだったと思えた。リスクをすべて避けることはできないのだから、ブラジルにいるリスクも取ろう。それほど高いリスクではありませんが、リスクではあります。私は死ぬ可能性がありました。
子どもが18歳になったら手放さないといけない
毒親、一部の毒親がしているのは、不死を手に入れようとすることなのだと思います。子どもの体を乗っ取ろうとしている。そのような親子は、親がいずれ死ぬという事実を話し合う必要があると思います。親は手放さなければならない。子どもの人生への執着を手放すとは、自分が死ぬこと、自分が自分で思っているほど子どもにとって重要な存在ではないのをさとることです。18歳か15歳までは親は子どもにとって重要な存在です。それまでは親は子どもにとって非常に重要な存在です。
しかし子どもを完全に独立した別の人間だと考えることが非常に重要です。
子どもを同じ家に住んでいる外国人と考えたらいい。宇宙からの移住者のようなものです。子どもは無からやってきた移住者なのです。
無から存在の世界に移ってきた、まったくの異邦人です。私たちはとかく子どもを自分の生き写しと考えます。誰でもそうです。子どもの中に自分を見ます。しかし親であることの重要な倫理、子どもであることの重要な倫理は、中立的な他者性の知を創造することです。子どもは同じ家で暮らしている異邦人なのです。