家族も社会も非均質的な集団

例えば子を持ち、親になることは、子どもが自分のものではないことを徐々に受け入れていくことです。

私の子どもたちは私のものではありません。

しかし子どもがごく幼くて非常に密着したつながりがある間は、子どもが自分と融合していて、子どもは自分のものであるという考えを持つかもしれません。しかしどんな愛情関係にも言えますが、大事なのは他者との融合などないと理解することです。愛は相手がいなければ生きていられない人同士の関係ではなく、相手がいなくても生きていける人同士の関係だと、シェリングも言っています。

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家族についてはこのように考えるべきかもしれません。親密さを基盤とした自由な結びつきであると。もちろん社会も自由な結びつきですが、その基盤は親密さではありません。ですから家族とはやはり違うのです。しかし社会についての考え方、社会の概念は、非均質的な集団というものであるべきですね。

違うからこそ結束している

以前から指摘していたことで、もちろん皆さんご自身のほうがご存じでしょうが、日本だって明らかに均質的ではありません。外国人でさえ大阪と東京では気風にはっきりした違いがあるとわかります。

ここで大切なことは、ただ違うと認識すべきだということです。東京の人が大阪について受け入れがたいのは、大阪が愛すべき土地であることじゃないでしょうか。大阪の人たちのほうがずっと楽しそうに見える。皆面白くてね。あなた(編注:インタビュアー)が大阪出身であるのは端々からにじみ出ています。大阪の人は面白い。

それに対してもちろん東京はビジネス、金融、政治の街で、天皇もいらっしゃいます。とにかく真面目な街ですよね。

おそらく東京の人には大阪も日本だということが受け入れがたいのでしょう。違う日本人らしさですから。日本国内にもこのような非均質性があります。社会になくてはならない機能は、違うからこそ自分たちは結束しているのだと考えることです。