バリアフリー後進国が最初に改善した場所

日本の公共交通機関にはこうした不便な面が多々あるが、少しずつ改善してきてはいる。

約25年前の1998年頃には、東京駅ですらエレベーターがなかったという。当時の鉄道関係者の意識として、駅のバリアフリー化は福祉事業で鉄道事業者が行うものではないとされていた。

公共交通のバリアフリーを推進したのが、2000年の交通バリアフリー法(高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律)、06年のバリアフリー法、そして改正バリアフリー法などの法整備だ。

バス、タクシー、船、飛行機、建物、道路など全般的にバリアフリーに遅れていた日本は、優先順位をつけてバリアフリー化が進められた。まず着手されたのが鉄道で、1日の利用者数が5000人以上の鉄道駅からバリアフリー化がはじまった。当時はバリアフリーやその費用を負担する意識や仕組みがなく、駅舎のバリアフリー化予算の3分の1を国が、3分の1を地方が負担する仕組みが新たに作られた。

筆者撮影
ホームと列車の隙間が狭くなっている新幹線のホーム

都市部では少しずつ便利になってきたが…

バリアフリーの対象駅は徐々に拡大されていて、1日の利用者数が5000人以上の駅から3000人以上、さらには2000人以上へと引き下げられていき、鉄道駅のみならず、バス、タクシー、船、飛行機、道路にも広がっていっている。タクシーもユニバーサルデザインの車両が登場し、介助講習を受講することを前提に購入補助をつけている。

ベビーカー問題については、「公共交通機関等におけるベビーカー利用に関する協議会」が設置された2013年ごろを境に、鉄道やバス事業者のサポート体制が徐々に変わってきた。駅構内で階段を使わず、スムーズに移動するための情報をまとめたアプリが登場し、2021年ごろからは駅や駅周辺でベビーカーをシェアリングできる「ベビカル」というサービスも始まっている。

筆者撮影
JR池袋駅のベビーカーシェアリング「ベビカル」設置場所

公共交通が発達した都市部ではこのような前向きな変化があるものの、地方部ではバリアフリー化が遅れているのが現状だ。半世紀前からある鉄道駅はエレベーターがなく、反対のホームに行くためには古い階段を上り下りしなければいけないケースは珍しくない。しかも無人駅も増えている。