3度目の市長選で当選

2012年、ビタリ・クリチコは、またも王座を保持したまま現役を引退、ウクライナ最高議会選挙への立候補を表明し、見事当選を果たしている。その後、幾度となくカムバックの話も浮上したが、実現することはなかった。高い知名度を生かし大統領の椅子を狙ったのだ。狙うは2014年のウクライナ大統領選である。

当初の支持率はペトロ・ポロシェンコに次ぐ2位。射程圏内にはあったものの、程なくしてポロシェンコ支援に回った。過去2度落選していたキエフ市長の椅子に方針転換したのだ。3度目の正直で市長選に当選、2014年からキエフ市長の職にあることはすでに述べた通りである。

ビタリ・クリチコ現キエフ市長(2014年9月12日撮影。写真=Sven Teschke/CC-BY-SA-3.0-DE/Wikimedia Commons

「私は戦う」というスタイル

彼の半生を振り返ってみて「私は戦う」というのが、ボクサーとしてのスタイルであると同時に彼自身の政治的信条にあったことは、もはや疑いようがない。それを思うと、一連の発言も首肯できなくはない。

しかしである。冷静に考えてみたい。戦争は別だ。戦って死ぬこともある。こうまで稀有な存在を戦場で散らしていいわけがない。あってはならない。無事でいてもらいたい。心からそう願うばかりである。

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