「切れる」は最上級の褒め言葉

料理人として修業をしていた30年前の22歳の時、私は自分の人生を変える本に出会いました。それが、徳島県の「青柳」という日本料理店の御主人である三代目店主小山裕久さんが書いた『味の風』という本です。

そこには、「切って味が変わる」と書かれていました。

提供=銀座小十

そもそも、昭和の板前さんたちは、「この切れ味がどう」とか「こう切るとこうなる」というように、切ることに対して、ものすごくこだわりがありました。そして、自分でも、「俺の方が切れる職人だ」と言ったり、料理ができる人を「あの人は包丁の切れる人だからね」と言い、それが、一番の褒め言葉でした。

包丁で切るということを、料理の腕の尺度としていたぐらい、切ることを大事にしていたのです。

そして青柳の御主人の本にも、「切って味が変わる」という記述があり、私はこの言葉にものすごく惹かれました。

30年前といえば、ちょうど日本料理界にも西洋の食材が入ってきた頃です。日本料理でも、例えば加工したフォアグラや輸入もののスモークサーモンをちょっと取り入れたりするようになってきていました。

そして、板前さんたちも「いつまでも包丁の切れ味などにこだわっていたら日本料理は進歩しない。いろいろな工夫をして、新しい料理を作っていかなければ海外の料理に負ける。海外の人も理解できるようなモダンな物を作らなくてはいけない」などと言い出しました。これがいわゆる、モダン和食の始まりです。

細胞と細胞の切れ目にまでこだわる

そんな時代の流れの中で、青柳の御主人だけが「切って味が変わる」と、切ることの大切さを書かれていました。

実際、肉にしても野菜にしても、繊維に沿って切るか、繊維を断ちきるように切るかで、食感の違いも、味のしみこみ方も異なります。

しかし、青柳の御主人がこだわっているのは、そんなレベルの話ではなく、細胞と細胞の切れ目にまでこだわる、ということなのでした。私は、この極意を理解できれば、自分の料理も切ることで味が変わる、より高いところを目指せるのではないかと思い、その後青柳の御主人のもとで勉強がしたいと門を叩き、なんとかお許しをいただいたのです。

青柳の御主人は、魚をおいしいお造りにするには、まずは当たり前ですが食材が大事だと仰っていました。

どういう魚を選ぶか。そして、どういう下処理をして、どういう状態にするか、そもそもの食材がよくなければ、おいしい造りにはならないと言います。