真の意味で弱っちいやつは、誠に強くなりたいとも、強い相手に勝ちたいとも願っていない。必死に自分より弱そうな相手を探し、弱いと見なした相手に威張る。

そうすることでしか、強いと恐れた誰かに傷つけられた矮小な魂を修復できない。これをかわいそうといわずして、なんといえばいい。

事件を起こした心理は…

「かわいそうなもんか。徹底して宮本容疑者は悪いやつで、同情の余地なし」と憤慨する人もいるが、それはかえって彼を調子づかせることになるのだ。

だって彼は、かわいそうといわれたくなくて、悪い怖いやつだと畏れられたくて、あんなことをしたのだ。

よって私は、しつこく「かわいそう」「かわいそう」といってやったのだ。

ふと思い出した2年前の同級生の事件

その前にも、公共の建物や私鉄の中で宮本容疑者的な人が暴れる事件は続いていたが、私はそれらとは種類が違う、故郷の岡山県でだけ大きく扱われた2年前の事件が思い出された。

中学の同級生だった男(仮にOとする)は、不良というより問題児だった。

本人が望むように、怖がられはしなかった。Oは小柄で勉強も運動もできず、それこそばかにされっぱなしだった。

本物の怖い不良たちはOなど仲間と見なさず、けんかも吹っかけなかった。思えばあの不良たちは、ちゃんとした不良だった。対等にけんかできる相手としかけんかしなかった。強いやつに勝ってもっと強くなりたい、そんな不良の美学はあったのだ。

Oも、最初から勝ち目のない不良たちには近づかなかった。Oが威嚇し、不機嫌を振りまく相手は、例によって怖くない先生、女子生徒、気弱な男子生徒に限られていた。

Oは中学卒業後、たまにバイトをしても続かず、ぶらぶらしていたらしい。一度だけ、地元の商店街で会った、というよりすれ違った。これは、後述する。

私が10代の頃は携帯もパソコンもなく、親しくもなかった同級生のその後などわからなかったが、Oは軽犯罪で何度か刑務所に入ったという、いかにもな噂は耳に入ってきた。それから何十年と過ぎ、すっかりOなど忘れ去っていたのに。