バカにされていることさえわからない

左馬頭につづいて頭中将が、自分の恋愛体験を語ります。

「私はダメ女の話をしましょう。はかなげで、私の正妻にいやがらせをされて身を隠してしまった女がいたのです。その女が荒れ果てた家で、さびしそうにもの思いに耽っていた風情は、何だか物語を見ているような感じがしてぐっときました。ところがこういう女は、先ほど左馬頭がおっしゃっていた『いざ付き合ってみるとダメな女』の典型ですね」

頭中将の恋人は、左馬頭のパートナーたちより明らかに魅力的です。この「雨夜の品定め」の少し後で、光源氏は夕顔と呼ばれる女性と、短いけれど終生忘れられない恋をします。その夕顔の正体は、このとき頭中将が語った「身を隠してしまった恋人」なのでした。どんな女にもモテてしまう光源氏さえもが夢中になるほど魅力的な相手と、頭中将は付き合っていたわけです。

頭中将は、左馬頭の前で、「上の上」の恋愛経験を披露したのでした。

「何だか物語を見ているようで」とか、「『いざ付き合ってみると駄目な女』の典型ですね」

とか、謙遜とも嫌味ともとれる言葉を交えながら・・・・・。頭中将に何を語られたのか気づいたとしたら、「ほどほどの女がいちばん」などとエラそうに語ってしまった左馬頭は相当、気まずい思いをしたことでしょう。

ちなみに、「雨夜の品定め」の段階で、光源氏はすでに父帝の妃である藤壺と、密通しています。藤壺は、光源氏の母、桐壺に生きうつしの絶世の美女であり、知性や教養の点でも申し分ありません。しかも生まれは、桐壺帝の2代前の帝の娘という高貴さです。そういう女性との「秘密の恋」は、「上の上」の中でも、頂点にあるような恋愛体験といえます。

このときの源氏は、ほとんど自分の意見を述べず、他の3人に対する聞き役に徹していました。藤壺のことが頭から離れず、他の女性について話す気になれなかったからです。もちろんそれ以前に、義母との恋愛沙汰などバレたらたいへんなスキャンダルです。黙っているほかなかったのかもしれません。

この夜の左馬頭の立場を現代に置き換えると、次のような感じになります。

年上のいかにも経験豊富そうな男が、明らかに恋愛経験が乏しそうな若者ふたりの前で、

「女は平凡が一番。お前たちにはわからないだろうが、芸能人の女と付き合ってもまるでつまらない」

と一席ぶった。そうしたら、若者のひとりは売れっ子のモデルとドラマのような恋をした経験があった。黙って聞いていたもうひとりは、ハリウッド女優と付き合っていた。

身の程知らずというのは恥ずかしいものですね。どうがんばっても「上の下」の女にまでにしか手が届かない「上の下」の男の哀しさが、むき出しになっている状況です。

幸か不幸か、左馬頭は、自分の立場をはっきりとは理解していなかったようです。ある人に自分がおよばないと痛切にわかるには、その相手に肉薄する境地にいることが必要なのです。

むかし、マラソンに瀬古利彦という名選手がいました。1981、87年のボストンマラソン、1986年のシカゴマラソン、ロンドンマラソンなどの勝者です。その瀬古選手があるとき、ひとりの若い無名選手がウォーミングアップをしているところを見て、ただならぬものを感じたそうです。このときの「無名選手」が、のちに瀬古選手を凌いで日本のトップランナーになった中山竹通選手です。中山選手は、1988年のソウルオリンピック、1992年バルセロナオリンピックでともに4位に入賞し、1986年ソウルアジア大会、1990年東京国際マラソンなどで優勝した、歴史に名を残す名選手です。

瀬古選手を最初にドキリとさせた頃の中山選手に、注目している人はほとんどいませんでした。瀬古選手は、自分が日本のトップだったからこそ、自分を抜いてトップになる選手のことを一目で見抜くことができたのでしょう。

光源氏や頭中将との格差を実感するには、左馬頭は「恋愛のプレーヤー」としてあまりに低いところにいたようで、頭中将の話の後も、とくに気分を害することもなく、恋愛談義に加わりつづけていました。