わたしはこの先で、希望を見つけなければ

もし、父に「いやあ、ごめんごめん。オトンからもらったサザンのライブチケットだけど、ギリギリで行くのやめて、家に帰ってきちゃった。オトンおらんと、おもんないもん」っていったら。

岸田奈美『傘のさし方がわからない』(小学館)

「バカタレ! 行きたくてしゃーない俺が行かれへんのやから、おまえが代わりに輝く桑田をその目に焼きつけて、耳かっぽじって聞いて、すみずみまで俺に教えてくれや! 神聖なライブに空席つくっとんちゃうぞ!」って怒られると思うんよ。サザンのライブが、人生という言葉に変わったとしても。

母だって、弟だって。「いやあ、ごめんごめん。ふたりとも死んじゃってさびしいから、自分も死んでこっち来ちゃった」っていったら、やっぱ「バカタレ!」って怒られると思うんよ。

いや、怒られるより、悲しまれるな。

怒られるのはまだいいけど、悲しませたくないよね。取り返しのつかないことで。

わたしはこの先で、希望を見つけなければ。

人間は希望がないから死ぬんじゃない。死にたくないから希望をつくるんだ。大好きな人たちがいない世界を、それでも生きるだけの価値といえる希望を。

希望の中身は、家族だったり、仕事だったり、するんだろうね。

家族っていうのは、ほら、パートナーとであったり、子どもをもったり、犬を飼ったりさ。自分より若い人に、自分の夢や願いを託すのはしたくないんだけど、生きる希望には、なると思うんだ。

希望が見つかるのを、見守ってほしい

でも、家族だけじゃ、家族だって荷が重い。希望はまれに誰かの負担になる。希望の中身は、分散できるほど安心だ。

たとえば仕事はどうだろう。わたしはいま、あんまり、一生かけてこれを絶対にやりたいって仕事がない。いまは楽しいから文章書いてるし、ラジオでもしゃべる。才能のある人に、才能のかけらを見つけてもらえたら、それを信じて新しいことに挑戦もする。

大きな木材を、好奇心というノミで、ガンガンけずっているような。うん。希望をほり出してる。いつか見つかるという自信だけがある。

わたしに関わってくれている人たちには、わたしの希望が見つかるのを、見守ってほしい。たまには一緒に探してほしい。わたしをおもしろがってくれたり、読んでくれたりする人の中に、そういう役目を担ってくれる人がいたら、すごくうれしい。希望を見つけるぞという強い意志をこめて、iDeCoの書類にサインをした。夜が明けたら、わたしはポストへ走る。

アカン、また見栄を張ってしまった。

走らず、少しだけ早く、歩く。心は希望に向かって爆走している。

いとうせいこうも、歌ってる。

速度 常に自己新で爆走!

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