「自民党をぶっ壊す」で大勝した非主流派・小泉純一郎

若い世代には想像できないかもしれないが、安倍氏が率いる最大派閥・清和会(現細田派)は自民党史において長らく非主流派だった。自民党を支配してきたのは武闘派と呼ばれた経世会(現竹下派)とお公家集団と呼ばれた宏池会(現岸田派)だった。

中卒程度の学歴にして首相に上り詰めた田中角栄氏の流れをくむのが経世会だ。最大派閥として自民党の選挙や国会対策を牛耳り、竹下登、橋本龍太郎、小渕恵三ら首相を輩出した。宏池会は池田勇人、大平正芳、宮澤喜一ら大蔵省(現財務省)エリート官僚出身の首相を輩出し、ハト派の政策集団として経世会を支えた。

経世会と宏池会が支配する自民党は、愛国心や排外主義といったイデオロギーを極力抑え込んで経済成長に専念し、その果実を国民に広く分配する政治を追求してきた。この結果、戦後日本は貧富の格差が小さい「一億総中流」と呼ばれる社会になったのである。

これを大転換させたのは今から20年前、非主流派のタカ派・清和会に属してきた小泉純一郎氏が大勝した自民党総裁選である。小泉氏は最大派閥が担ぐ橋本龍太郎氏に党員投票で圧勝し、一挙に首相の座をつかんだ。「小泉劇場」と呼ばれた大逆転劇は日本政治史の重要な転換点だ。

小泉純一郎氏(写真=首相官邸ホームページ/CC BY 4.0Wikimedia Commons

小泉氏は経世会と宏池会を頂点とする政界・官界・財界の主流派を「抵抗勢力」と名づけ、彼らが独占してきた既得権益を打破する「構造改革」を掲げた。首相就任後は自民党と財務省など有力省庁が主導する政策決定システムを変革。大学教授の竹中平蔵氏を経済政策の司令塔として閣僚に抜擢し、官邸主導で経済政策を推進した。

小泉政権の5年半で経世会と宏池会は弱体化し、自民党は清和会支配に突入した。それに伴って弱者を支えてきた「富の再分配」は縮小され、規制緩和が進んで「強い者がより豊かになる」競争主義が加速し、貧富の格差が急拡大した。

安倍・菅政権の系譜と総裁選の構図

小泉氏から後継指名されたのが同じ清和会の安倍氏だった。

2006年に誕生した第一次安倍内閣は短命に終わったものの、12年発足の第二次安倍内閣は官邸主導の政治を確立し、日本史上最長の7年8カ月も続いた。経済政策「アベノミクス」は株価を飛躍的に押し上げて大企業や富裕層を潤わせる一方、労働者の実質賃金は一向に上がらず、貧富の格差はどんどん拡大していったのである。

菅義偉内閣もこの路線を受け継いだ。菅氏は安倍内閣を官房長官として支えてきたのだから当然だろう。安倍氏は菅内閣でも隠然たる影響力を残した。菅内閣の支持率が続落して今秋の衆院選で自民党苦戦が予想されると、安倍氏は総裁選で対抗馬に名乗りをあげた岸田氏に加勢し、菅首相を不出馬に追い込んだ。岸田氏は安倍氏の後ろ盾を得て一時は総裁レースのトップに躍り出たのである。